12/18/2012

地域研究の「粋」を味わう

日本学術会議の「地域研究の「粋」を味わう」というのがあるらしい。
参加はできないけど、シンポジウムメンバーを見ると是非是非参加したい…

やっぱり都会にすんでないと駄目かなぁ~~

http://t.co/ZGAAhF2c

12/17/2012

祖父江孝男民博名誉教授が死去

祖父江孝男氏 86歳(そふえ・たかお=国立民族学博物館名誉教授、心理人類学)15日、虚血性心不全で死去されたそうです。


 日本民族学会長、日本生活学会長などを歴任。日本人の国民性、特に地域によるパーソナリティーの違いに着目し、風土的・歴史的背景から解明した著書「県民性」など著作は多数。

ご冥福をお祈りいたします。

12/13/2012

暴力と歓待の民族誌

暴力と歓待の民族誌―東アフリカ牧畜社会の戦争と平和
佐川徹 



この著書は何かと気になってた本でした。ある書評では大絶賛されており、どんな民族誌かと思い読んで見ました。
書評が学会誌やいろんな雑誌に掲載されているので、中身には触れませんが、個人的な感想としては、やっぱりおもしろかった。という感じでしょうか。
京都大学で博論書いてるので、生態人類学よりだと思ってたんですけど、文化人類学のほうにもひらけている印象があります。

東アフリカの牧畜社会という専門に扱っていないととっつきにくい地域ではあるんですけど、それでもおすすめできる民族誌だと思います。

11/28/2012

滋賀県の嘉田由紀子知事

最近話題の滋賀県の嘉田由紀子知事ですが、もともとは環境社会学や文化人類学の専門家です。アフリカ研究などに論文も書いてたりします。
ネットで探せば、経歴や著作は出てきますが、文系学問の専門家が政治を行うとどんなもんなんだろうかとちょっと気になります。
良いか悪いかを判断をするつもりはありませんが、興味はあります。
個人的におすすめの本をいくつかあげます。アフリカ関係はすぐに見つかりませんでしたけど、共著、編著などなど多数ありますので


11/25/2012

Kindleの本格参入

アマゾンで正式にオープンになりました。まだまだ漫画や小説が主流なんでしょうけど、最近では人文系学問もPDFで論文公開というところが多いですけど、そのうち紙媒体からシフトしていくんでしょうか。
実際フィールド調査をするのに、今までは紙(メモ用紙)だったのが、ノートパソコンになり、今ではiPadという人もあると思います。
読みたい本も何冊もカバンに入れずにすみますし、こっちのほうが便利なのかな。
でも本に付箋紙でも貼りながら、ペンでマーキングしていくほうが良いような。
電子書籍でもそんなことはいくらでもできるんでしょうけど、どうなのかなぁ~~

11/09/2012

キリスト既婚説って??

興味深い記事を見つけましたので、下記に貼り付けます。

下記にもありますが、結婚していてもおかしくは無いと思いますが、不思議なのは結婚をしていると歴史が変わる?ということなんでしょうか。歴史は新しい発見があれば、その都度再生産されてきたという印象を持ってますから、別にいいんじゃないかと…
キリスト教徒ではないからこんなのんきなことを言ってられるのでしょうか。

http://mainichi.jp/feature/nationalgeo/archive/2012/09/20/ngeo20120920003.html

2000年前に生きたイエス・キリストは、結婚していたのだろうか。これまで何世紀にもわたって取りざたされながら、有力な証拠を欠いていたこの問題が、新たに注目を集めている。きっかけは、キリストの妻に言及した古いパピルス紙の断片の存在が明らかになったことだ。

  このパピルス紙片は、ハーバード大学の歴史学者カレン・キング(Karen King)氏が、その内容を明らかにした研究成果を発表したことで世界的ニュースとなった。名刺よりも小さなその紙片には、数行の手書きの文書が、キリス ト教のシンボルを使用するコプト語で綴られていた。文書の最後の行には、イエスの発言の引用という形でこう書かれている。「そしてイエスは言った。私の妻 は……」。

 文章は途中で切れており、パピルス紙片はより大きな文書の一部と考えられる。記述が途切れているため、その後にどんなことが書かれていたのか、そして、“妻”とは誰だったのかは謎だ。

 イエス・キリストに近しい伴侶がいたことをにおわせる文書はこれまでにも存在したが、キリストの没後数世紀以内に書かれた文書で、妻の存在を直接言及したものはこれまで見つかっていなかった。

◆紙片の暫定評価は“本物”

 このパピルス紙片の書かれた年代や真贋については依然調査中だ。しかし、初期キリスト教の歴史や文書に詳しい一部専門家による暫定評価は、これが本物であることを示している。現時点では、キリストの死後2~4世紀に書かれたものと推定される。

「2 世紀に書かれたのがもし事実なら、キリストの結婚歴に関する主張は、キリストの死後1世紀以上経って、セクシュアリティや結婚、弟子の問題をめぐるキリス ト教徒間の論争の中で、初めて出てきたことを示す直接的な証拠となる」。キング氏は、プリンストン大学の宗教学教授アンマリー・ライアンダイク (AnneMarie Luijendijk)氏と共同執筆した論文草稿の中で、このように述べている。

 ノースカロライナ大学チャペルヒル校の宗教学者で著述家のバート・アーマン(Bart Ehrman)氏は次のように話す。「もしこれが言われているとおりのものなら、史上初の発見だ。この種のものは確かにこれまで見つかっていなかった」。

  ただし、キリストの妻に言及した文書が見つかったからといって、それがキリストに妻がいた証拠にはならないとアーマン氏は指摘する。「この文書が示してい るのは、2世紀にキリストの支持者が存在し、その人物がキリストには妻がいたと考えていた可能性があるということだ」。今回の発見は、キリストの生涯を説 く主要福音書の執筆と改訂が進められていた時代の初期キリスト教の発達に光を当てるものとなるだろう。

◆紙片の発見は「大きな進歩」

 オタワ大学でコプト語とパピルス学を研究するイッツェ・ダイクストラ(Jitse Dijkstra)氏は、このパピルス紙片の発見を「大きな進歩」と評価する。

 パピルス紙片を発見したハーバード大学のキング氏が「New York Times」紙の取材に対して語ったところによると、この紙片は個人収集家から貸し出されたものであり、理由は不明だが、何らかの事情でこれまで数十年間その存在を伏せられていたのだという。

 このパピルス紙片の前にキリスト教研究者の心をとらえた重要文書といえば、「ユダの福音書」だ。この研究プロジェクトの詳細はナショナル ジオグラフィック誌で特集されている。

  ナショナル ジオグラフィック協会の支援で修復と保存作業が行われたこの長大な文書は、キリストの使徒イスカリオテのユダが、長らく研究者や宗教的指導者たちに考えら れていたような裏切り者ではなく、裏切りとされる行為は、ユダがキリストの指示を受けてとったものだった可能性を示している。

 今回のキング氏によるパピルス紙片の研究成果は、ローマで開催中の国際コプト学会議において9月18日に発表された。

独身だったとされるイエス・キリストに「妻」がいた可能性を示す古文書が見つかったと9月に報じられ、キリスト教界に波紋を広げた。「イエスの結婚」はカ トリック教会のタブーだけにローマ法王庁(バチカン)が反応したのは当然としても、専門家が相次いで疑問を呈し、真偽論争まで巻き起こすに至った。その背 景は何か。【ローマ福島良典】

 問題の古文書を解読し、9月18日にローマで開かれた国際学会で発表したのは米ハーバード大神学大学院の歴史学者、カレン・キング教授。4世紀後半のも のとされるパピルスの断片(縦約4センチ、横約8センチ)には、古代エジプトのコプト語で「イエスが彼ら(弟子たち)に言った。『私の妻は……』」(続き は断裂して不明)、さらに「彼女は私の弟子になれるだろう」との記載があった。

 カトリックの伝統的な見解ではイエスは結婚しなかったとされる。キング教授はパピルスについて「イエスが結婚していたことを証明するものではない」と断りながらも、古文書が書かれた時代の信者の間で「イエスの結婚」が議論されていた証拠--と見る。

 これに対して、バチカンは日刊機関紙オッセルバトーレ・ロマーノを通じて「パピルスは下手な偽造品」(ジョバンニ・マリア・ビアン編集長)と一蹴した。 パピルスは遺跡発掘で見つかったのでなく、骨董(こっとう)品市場で入手されたとされ、そもそも本物ではないという主張だ。「(新約聖書の外典)『トマス による福音書』の写本の切り張りだ」と指摘した英教授や、使われた字体から偽造説を唱える専門家もいる。

 パピルスを本物と仮定した上で、「妻」の解釈に疑問を投げかける意見もある。学会を主宰したローマ大学史学部のアルベルト・カンプラニ教授(51)=キ リスト教・教会史=もその一人。「イエスが『私の女性』と言う場合、自分に付き従い精神的なつながりを持つ人物のこと。パピルスの『妻』も象徴的な意味」 と解釈する。イエスの言動を伝える福音書にイエスの結婚に関する記述はなく「当時、信者の間で話し合われたことはなかった」と結論付ける。

 現代欧州の信者はどう思っているのか。ローマ中心部にあるサンタ・マリア・マッダレーナ教会。日曜礼拝を終えたイタリア人の元薬剤師、チンティ・ビートさん(65)は「イエス妻帯説はキリスト教世界にとってショック。でも、信じてはいない」と語った。

 バチカンのサンピエトロ広場。ドイツから家族で巡礼に訪れた女子高生のハンナ・グレゴールさん(17)は「当時、男性は結婚するのが普通だったから、あり得るかも。でも、妻がいたかどうかは私の信仰には関係がない」といたって冷静だ。

 イエス妻帯説は、なぜか米国発が目立つ。米国人のキング教授の「発見」を大々的に報じたのは米紙ニューヨーク・タイムズ。イエスが「マグダラのマリア」 と結婚していたという設定の推理小説「ダ・ヴィンチ・コード」を著したのも米国人作家のダン・ブラウン氏だ。カンプラニ教授は、女性の地位に敏感な米国キ リスト教会の事情が反映していると見る。「(教会における女性の地位の観点から)イエスと女性の関係は米国のキリスト教徒にとって最大の関心事」だから だ。

 カトリック教会にとって女性の地位向上は課題だ。バチカンで10月に開かれた司教会議でベルギーのアンドレ・レオナール大司教は「信徒の3分の2を占め る女性の多くが『差別されている』と感じている」と指摘し「女性が幸福と感じ、(教会で)認知されなければ新たな福音はない」と警鐘を鳴らした。

 女性の権利保護への取り組み強化や司祭の独身制の見直しなど改革を迫られるバチカン。「イエスの妻」論争が浮き彫りにしたのは、現在のカトリック教会が抱える苦悩なのかもしれない。


10/14/2012

実験失敗の院生に“罰金”34万

読売の記事

文系じゃまずありえないなぁ~と思いました。こんなことしてたら、文系の院生は研究やめるだろうな。


愛媛大は12日、失敗した実験の費用名目などで、指導する男子大学院生から約34万円を取り上げたとして、大学院医学系研究科の40歳代の男性准教授を出勤停止14日間の懲戒処分にした。
 発表では、准教授は2009年6月、院生に対し、失敗した実験で使った試薬や器材の費用を自己負担するよう指示し、 25万円を支払わせたほか、同7月にも財布から9万2000円を取り上げた。また、キャッシュカードの暗証番号を聞き出そうとしたり、ATM(現金自動預 け払い機)で残高照会をさせて額を見たりもした。
大学側は院生から相談を受けて調査。准教授は事実を認め、「実験がうまくいけば返金する予定だった」と話したという。同大学は実験費用を学生・院 生に負担させることはないといい、記者会見した安川正貴・医学系研究科長は「現金を支払わせたこと自体が不適切と判断した」と処分理由を述べた。

8/24/2012

比叡山メッセージ2012(付・宗教界の脱原発声明等概観)


比叡山の宗教サミットの共同メッセ―ジを島薗進先生のブログで見つけましたので、記載させて頂きます。
これから宗教(者・教団などなど)


(25周年を迎えた「比叡山宗教サミット」の参加者による共同メッセージをそのまま転写します。また、その後に、諸宗教集団・宗教者による脱原発の声明や意見表明を概観した文章を添えてあります。)
2012年8月3,4日、比叡山宗教サミット25周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」に参加するため比叡山山上に結集したわれわれは、平和を願う世界のすべての人々に心からメッセージを送りたいと思う。
人類は有史以来、大自然の豊かな恩恵によって生命を維持し、さらにより利便性に富み快適な生活環境を手に入れるため、様々な工夫をこらしてきた。そのこと は、やがて科学技術の飛躍的発展をもたらし、物質中心の近代文明が人々の生活を覆い尽くすこととなった。その結果、自然の恵みを享受するという姿勢から、 自然を利用し、また改造して、より一層人間の生活を豊かにしたいという、飽くなき欲望を充足させる道をひたすら求め続けることになった。
そのようなとき、世界各地で自然災害が頻発、その甚大な被害の前に人々は為すすべもなく、呆然と立ち尽くす外なかったのが実状であろう。すなわち、科学技 術が生んだ知見によって自然災害を防ぎ得るどころか、かつて日本の物理学者、寺田寅彦(1878-1935)が指摘したように、文明が進むほど自然の猛威 による被害はその激烈さの度を増すという、冷厳なる事実を突きつけられたからである。その結果、ややもすれば自然を収奪し、思うままに利用しようとしてき たことが、いかに傲慢なことであるかに気付かされたといっても過言ではない。
特に昨年3月11日の東日本を襲った大震災と大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所の放射能漏洩事故は、チェルノブイリやスリーマイル島の原 発事故について謙虚に学ぶ姿勢が余りにも乏しく、科学技術のもたらす安全性を過信した結果である。われわれは、技術の進歩の成果を無条件に受け入れるので はなく、その選択に深い倫理性が求められていることを知るべきである。
古代ギリシャ神話が物語るように、人類に火を与えたプロメテウスに、ゼウスは生きながら内蔵を鷲に喰らわせるという罰を与えた、という。それは、すでに文明が人類に幸せをもたらすばかりではなく、厄災を内包するということを示唆しているのではないだろうか。
核燃料から生じる危険な廃棄物の安全な処理方法が、未だ見出せない現実一つをとっても、原発を稼働し続けることは宗教的、倫理的に許されることではない。われわれ宗教者は、このことに強く警鐘を鳴らす責任があったことを、率直に反省するものである。
あらゆる宗教は、欲望の充足が幸福をもたらすのではなく、まず日々の生活の中に平安を祈り、共に生かされて生きることを神仏に感謝することを説く。今や人 類は物質文明に押しつぶされそうになっている現実に目を開き、誤りのない道を選ぶ岐路に立たされていることを知るべきであろう。
一方、自然災害が発生するたびに、自らの生命をも顧みず救援活動に従事する人々の崇高さ、黙々とボランティア活動を続ける人々の気高さ、また直接被災地に 駆けつけることは叶わぬまでも、物心両面にわたって支援し続ける人々の心の温かさに、人類の未来を見る。われわれ宗教者も、災害発生と同時に、各地で被災 者支援に労力を傾注してきたが、甚大な被害を前にして、まだまだ至らぬことを痛感せざるを得ない。
宗教者の重大な使命は、大自然の猛威によって亡くなった方々を弔うことにあると同時に、最愛の家族・友人を一瞬のうちに奪われた人々が、一日も早く平安を 取り戻し、安寧に暮らすことができるように祈念し、共に歩み続けることである。ここに集うわれわれは、諸宗教の連携を深めながら、この使命を全うすること を誓うものである。
2012年8月4日
世界宗教者平和の祈りの集い参加者一同
(付)
 脱原発を求める宗教界のメッセージは、多数出ています。この「比叡山メッセージ2012」は世界中の宗教指導者の集いでまとめられたもので、諸宗教宗派 間の調整を経たものです。超宗派の個人個別組織の共同による「宗教者は原子力発電所の廃止を求めます」という声明(2012年7月13 日)http://togetter.com/li/343855 は主に個人の意志によるもので、超宗派であっても内容は明確です。
 単一宗教によるものでは全日本仏教会の「原子力発電によらない生き方を求めて」http://www.jbf.ne.jp/2011/12 /post_214.html はきわめて広い多様性をもった日本の仏教界をまとめて提出されたもので、内容も明快で社会的なインパクトは大きいものでし た。
 個別宗派のものは宗派の考え方に即して考えをよく練ってあるものが多いです。仏教界では、臨済宗妙心寺派「原子力発電に依存しない社会の実現」 (2011年9月29日) http://www.myoshinji.or.jp/about/post_9.html  が早い時期のものです。真宗大谷派の「すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力発電に依存しない社会の実現を求める決議」(2012年2月27 日) http://www.higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=380 は、これまで長期 的にこの問題に取り組んできた集団らしい踏み込んだ内容のものです。立正佼成会の「真に豊かな社会をめざして――原発を超えて」(2012年6月18日) http://www.kosei-kai.or.jp/infomation/070/post_44.html も長く国際的な平和運動に取り組んできた集団の経験を踏まえたものです。
 キリスト教では日本カトリック司教団の「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」(2011年11月8日) http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/111108.htm は世界のカトリック教会の考え方の取り組み を踏まえており、声明としても早い時期に出されました。日本聖公会の「原発のない世界を求めて-原子力発電に対する日本聖公会の立場―」(2012年5月 23日) http://www.nskk.org/province/others/genpatsu2012.pdf や日本同盟基督教団の「みこころの天になるごとく地にも―原子力発電にかんする理事会見解―(2012年7月9日)」は  http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120718/p1 
2012-07-18 「教え」に基づくものであることを明確に示したものです。
 神道系らしい考え方が示されているのは、子どもの脳死による臓器移植や死刑制度にも疑問を呈してきた大本の「大飯原子力発電所再稼働に反対する教団声明」(2012年8月14日 6月14日)
http://www.oomoto.or.jp/Japanese/katsudo/seimei/seimei_genpatsu.html があります。
 創価学会については、2012年1月26日の池田大作名誉会長第37回「SGIの日」記念提言 「生命尊厳の絆輝く世紀を」でおおよその方向性は提示されているようです。
 なお、脱原発を求める宗教団体が多数派ですが、原発推進を主張する宗教団体もないわけではありません。諸宗教の動向については、以下のまとめが参考になります。http://www.circam.jp/reports/02/detail/id=2012 

8/20/2012

通過儀礼

フランスの民俗学者のファン・ヘネップの『通過儀礼』が岩波の文庫として発売になった??のかはわかりませんが、文庫ということで安価で手に入るようになりました。
この本は民俗学、人類学、宗教学などなど人文系学問に大きな影響を与えた文献と言えると思います。儀礼を初めて体系的に論じ、誕生から死までの折々の儀礼、入会の儀礼などを、分離・過渡・統合の過程をたどる通過儀礼の視点で捉えた。特に過渡期という境界状況の考察は、コミュニタス理論など後の人類学の理論的展開の基盤となった。

最近では、評論家の島田裕巳先生がAKBの誰かの記事を書いたことが話題になったときにおそらく議論の中心の概念となったテキストだと思います。

私は早速購入しました…

8/10/2012

儀礼の過程

有名すぎる本ですけど、最近人に勧められたので、紹介しておきます。
まだ読んではいないんですけど、儀礼論をやるうえでは教科書のような感じでしょうか。

ターナーはE.E.プリチャードの弟子になるのかなぁ~

アフリカ研究者以外でも読んで楽しい民族誌だと思います。

7/04/2012

セミナー宗教学講義

柳川啓一編「セミナー宗教学講義」
放送大学用のテキストになるのかなぁ??

偶然入った古本屋でみつけた本です。比較的古い本なんですけど、今宗教学関連でやっている先生方が若い時に講義をした内容がわかる本です。
柳川先生が編者ということもあってか東大系の先生方の名前がたくさんあります。
呼んでいて講義というか話し言葉で書かれているので、読みやすいですし、いろいろなヒントを得ることができると思います。
ご関心のあるかたはどうぞ。

6/11/2012

『旅のパウロ』 佐藤研

毎日新聞の「今週の本棚」というコーナーに立教大学の佐藤先生の記事が掲載されていました。
ちょっとテンションも上がったので、ご紹介致します。


◇伝道者の生きざまを追って−−佐藤研(さとう・みがく)さん
イエスの刑死後、ユダヤ教世界を超えて小アジア(現在のトルコ)やギリシャへ異邦人伝道の旅を続け、『新約聖書』の「ロマ書」(ローマ人への手紙)などの膨大な書簡を残した使徒パウロ。彼なくして世界宗教としてのキリスト教は成立し得なかったとさえ言われるが、その生涯や人となりには、意外なほど明らかでない部分も多い。

「パウロ書簡は難解で分かりにくく、一人の生きた人間の姿が見えてこない。読解だけで抽象化してしまうことに不安を感じました。足跡をたどり、その大変な距離感や肉体的、感性的な条件を追体験してリアルなパウロ像に近づきたかった」

立教大で教鞭(きょうべん)を執る傍ら、2002年以降8回の「足跡紀行」で、コリントやエフェソを訪ねる3度の伝道旅行からローマ護送にいたる数千キロの行程を、レンタカーを駆って走破した。「荒涼とした風景の中でただ地平線を目指し、恐らくは黙々と歩き通したパウロは、やはり取り憑(つ)かれていたのだと実感しました。あきれるほどの情念(パトス)の力、破裂するような上昇のエネルギーを思い知らされた」

こちらは是非一読したいテキストだと思います。

6/06/2012

世界がわかる宗教社会学入門

世界がわかる宗教社会学です。
こちらの本はなんというか読みやすくて、わかりやすい。という本です。橋爪氏の執筆で、宗教社会学の視点から世界三大宗教から、儒教、道教、神道などを日本人に馴染みのある宗教を紹介しています。この本を大学の講義のテキストにしている先生も結構いるようですし、なかなかの著書だと私は勝手に思ってます。

5/02/2012

呪術の人類学

白川千尋、川田牧人
2012『呪術の人類学』人文書房。

ついに出ました!というか個人的にこの分野はものすごく関心があって発行されるのを心待ちにしてました。
編者はもちろんのこと、執筆者も日本の人類学、呪術研究の有名どころばかりですし。
また読もう~~

呪術の人類学
目次
序章    言葉・行為・呪術(白川千尋)
第1章   さやかならぬ「日常」の呪術論(川田牧人)
第2章   呪術とは何か(関一敏)
第3章   呪術と現実・真実・想像(黒川正剛)
第4章   呪いには虫の糞がよく効く(東賢太朗)
第5章   不可視なものとの接触(飯田淳子)
第6章   バリにおける呪術的世界の周縁(大橋亜由美)
第7章   呪師の確信と疑念(津村文彦)
第8章   習俗論から見た呪術(阿部年晴)    

内容説明の文章には
人類学の原初的テーマである「呪術」を人間存在に不可欠なものと位置づける本書は、呪術においてしばしば認められる半信半疑の受容、非合理な ことだと知りながら実践するような言語的理解の次元と身体的実践の次元のズレに着目し、二つの次元の相関関係を明らかにすることを試みる。さらに、呪術と 日常とが重なり、あるいは離切し、互いのリアリティを感得しあうしくみを探る。人類学のみならず、「理解」という人間の営みを考察の対象としてきた哲学、 認知科学、社会学分野における一連の議論に接合するとともに、これら諸学の進展に大きく貢献する可能性をもつ画期的試みである。  

4/29/2012

岩波文庫の電子書籍化



岩波文庫の電子書籍化
というニュースをみてちょっと驚いてしまいました。
とうとう岩波が電子書籍を出すのかと思いちょっと喜んでいます。
予定では4月26日より配信(2012年)【28点32冊】となっています。

『こころ』 夏目漱石 525 円
『柿の種』 寺田寅彦 735 円
『小僧の神様 他十篇』 志賀直哉 609 円
『銀の匙』 中 勘助 588 円
『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』 芥川竜之介 420 円
『童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』 宮沢賢治/谷川徹三編 693 円
『伊豆の踊子・温泉宿 他4篇』 川端康成 588 円
『山月記・李陵 他九篇』 中島 敦 840 円
『アルプス登攀記』(上・下) ウインパー/浦松佐美太郎訳 上798 円・下735 円
『闇の奥』 コンラッド/中野好夫訳 567 円
『動物農場 ―おとぎばなし』 ジョージ・オーウェル/川端康雄訳 693 円
『黒猫・モルグ街の殺人事件 他5篇』 ポオ/中野好夫訳 735 円
『若きウェルテルの悩み』 ゲーテ/竹山道雄訳 567 円
『変身・断食芸人』 カフカ/山下肇・山下萬里訳 504 円
『精神の危機 他15篇』 ポール・ヴァレリー/恒川邦夫訳 1134 円
『罪と罰』(上・中・下) ドストエフスキー/江川 卓訳 上840 円・中840 円・下903 円『学問のすゝめ』 福沢諭吉 693 円
『茶の本』 岡倉覚三/村岡 博訳 441 円
『武士道』 新渡戸稲造/矢内原忠雄訳 588 円
『後世への最大遺物・デンマルク国の話』 内村鑑三 567 円
『遠野物語・山の人生』 柳田国男 840 円
『古代への情熱 シュリーマン自伝』 シュリーマン/村田数之亮訳 630 円
『ソクラテスの弁明・クリトン』 プラトン/久保 勉訳 504 円
『方法序説』 デカルト/谷川多佳子訳 504 円
『永遠平和のために』 カント/宇都宮芳明訳 525 円
『ツァラトゥストラはこう言った』(上・下)  ニーチェ/氷上英廣訳 上777 円・下840 円
『ロウソクの科学』 ファラデー/竹内敬人訳 630 円
『君主論』 マキアヴェッリ

岩波書店は10日、「岩波文庫」電子書籍版の配信を開始することを発表した。ロングセラーの既刊書を中心に、28点32冊を電子書籍(リフロー版)化し、4月26日より一括配信する。

「岩波文庫」は1927(昭和2)年7月、創業者の岩波茂雄によって創刊された。文学、哲学、歴史、宗教、自然科学、法律、経済など、ほぼあらゆる分野の古典的著作を刊行しており、総刊行点数は現在では5600点を超えているとのこと。

同社では、電子書籍の市場の広がりとともに、「電子書籍コンテンツ」として 「岩波文庫」の電子書籍化の要望が強まったため、今回要望に応えることにしたとしている。なお、「岩波新書」「岩波ジュニア新書」は、すでに昨年11月より電子書籍版が配信されており、「岩波新書」は月4点、「岩波ジュニア新書」は月1点ずつが定期配信されている。

とのこと。

4/21/2012

語られた教祖 近世・近現代の信仰史

幡鎌一弘編
2012 『語られた教祖 近世・近現代の信仰史』 法蔵館

 
という新刊です。

宗教研究のというより歴史学や宗教学と分野は分かれると思いますが、その専門の方々が執筆された論集です。実は読んでいないんので掲載しようか悩んだんですけど、書いているメンバーが良かったので掲載しました…

目次:

聖なる歴史としての教祖伝―ナラティヴによる脱構築と再構築
新宗教文化の脱教団的展開―教祖研究の“作法”をめぐって
ジェンダーの視点から見た教祖伝
如来の化身としての親鸞・一学徒としての親鸞
日蓮はどのように語られたか?―近代日蓮像の構築過程の文化分析
教祖像の力学―金光教の教祖探究から
『稿本天理教教祖伝』の成立
教祖論・教団論からみた平田国学―信仰・学問と組織

4/10/2012

戒名必要ない56%、葬式簡素派9割…読売調査


読売新聞で気になる記事がありました。こういう記事を読むと「葬式」って必要ないのかな~~と思う反面これは戒名の話で式自体は行う。ということなんだろうか。

人生の通過儀礼というと大げさかもしれませんけど、どうなのでしょうか。それに葬式って本人じゃなくて残された家族がすることだからここらへんも遺言でも残しておかないと本人の思い通りにはならないでしょうし。

時代と一言で片付けられることじゃないと思いますが、なかなかこういう数字で見ると考えさせられますね。
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読売新聞社は2月から3月中旬にかけて冠婚葬祭に関する全国世論調査(郵送方式)を実施した。

 冠婚葬祭を簡素に行う方がよいか、盛大に行う方がよいかを個別に聞くと、「簡素に」との答えは「法要」96%、「葬式」92%、「七五三」86%、「結婚式・披露宴」84%で、いずれも90%前後に達した。

 これらについて、慣習やしきたりにこだわらなくてよいと思う人の割合は、「結婚式・披露宴」78%、「法要」59%、「葬式」58%、「七五三」54%とすべて半数を超えた。冠婚葬祭をめぐる国民の意識は多様化している。

 自分の葬式を仏教式で行う場合、戒名(法名)が「必要ない」と答えた人は56%で、「必要だ」43%を上回った。年代別でみると、「必要ない」は40歳代で最多の63%となるなど、20~60歳代の各年代で多数だったが、70歳以上だけは「必要だ」54%が「必要ない」44%より多い。



4/06/2012

震災後の死生観語り合う


西日本新聞のHPに興味深い記事がありました。すでに終わったシンポジウムなんですが、下記に転載させて頂きます。
このシンポジウムは西日本宗教学会が開催したもののようで、討論者のメンバーが有名人ばかりです。情報をもっと早くにしいれていたら参加したのにな~~

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 「死者のフォークロア」と題したシンポジウムが31日、福岡市城南区の福岡大であった。東日本大震災を経た日本人の死生観について、人類学や民俗学、宗教学の専門家が語り合う形で「価値観の多様化がより鮮明になってきた」などとする意見をまとめた。
 シンポジウムは同大と西日本宗教学会の共催。元日本文化人類学会会長の波平恵美子氏が、大震災で行方不明になった家族を現在も捜し続ける遺体へのこだわりは日本人の特徴と紹介。一方、火葬場のお骨を「宅配便で自宅に送ってほしい」と、死者にこだわらない人たちが増えてきたことにも触れた。
 国際日本文化研究センターの小松和彦教授(民俗学)は、日本人が遺体や位牌(いはい)などを重視するのは、死者とともにあろうとすることの表れと分析。波平氏は「その関係が弱まれば、人間に救いようのない虚無感だけが広がる」と指摘した。
 そうならないために、九州大の関一敏教授(宗教学)は「伝統だけにとらわれず、死者との関係を救済する『何か』を作っていかなければならない」などと語った。

3/28/2012

臨床宗教師の創設:東北大学


東北大:宗教の枠超え悲嘆と向き合う 来月から研究の講座を設置 臨床宗教師の創設も

という記事を見つけました。本当に興味深い記事でしたので、記載させて頂きます。


東北大は26日、宗教者が特定の宗教を超えて人々の悲嘆と向き合えるよう研究する「実践宗教学寄付講座」を4月から3年間、大学院文学研究科に設け ることを正式決定した。宗教への中立性を求められる国公立大では異例の試み。将来的には宗教者らが人々の悲しみを癒やす「臨床宗教師」(仮称)の資格制度 の創設を目指すという。【平元英治】
県内のキリスト教系団体でつくる一般財団法人「東北ディアコニア」からの寄付金で運営。教授1人、准教授2人を置き、東日本大震災により家族や知人を失った被災者が悲しみに沈んでいることを受け、宗教から被災者に寄り添う方法を模索する。
欧米で宗教者が大学で専門教育を受け、軍人や治療の見込みがない患者の悲嘆に向き合う「チャプレン」として働く仕組みが定着していることを研究。 大学などで日本の伝統的な生命観などを学びながら、人々の人生と向き合えるよう育てる仕組みづくりを考察する。震災の被災者支援に携わってきた仏教の僧侶 らを招いた講義も検討している。
講座の立案者の一人、東北大の鈴木岩弓教授(宗教民俗学)は「震災では万単位の犠牲者が出た。やりきれない思いをしている遺族や、死生観を考え直 した人々はその何倍もいる。『臨床心理士を配置すれば、被災者の心が癒やされる』というレベルを超えている」と講座の必要性を強調している。
ディアコニアの川上直哉理事長は「宗教者の仕事は、人々の苦しみを軽くすること。役割を更に果たすためのステップになるよう期待している」と話している。

3/24/2012

相対化とは何か?

よく学問の中で相対化、相対視、相対主義。という語彙を目にします。
これまで「基準となる事象から比較・対比される」みたいな意味だと思っていたんですけど、いまいち腑に落ちずにいました。

wikiには「全ての文化は 優劣で比べるものではなく対等であるとし、ある社会の文化の洗練さはその外部の社会の尺度によって測ることはできないという倫理的な態度と、自文化の枠組 みを相対化した上で、異文化の枠組みをその文化的事象が執り行われる相手側の価値観を理解し、その文化、社会のありのままの姿をよりよく理解しようとする 方法論的態度からなる。フランツ・ボアズによって提唱された。」とかかれてあります(文化相対主義の項)

「相対主義に関するよくある質問」にはわかりやすく書かれてたりしますが、文系と理系とでは語彙の意味というか、用法が異なるように思います。

あまり考えても議論が複雑になるだけのようですので、また落ち着いたら続きを書きます。

3/21/2012

日本人の死生観を読む

毎日新聞の今週の本棚という企画欄に島薗進先生の『日本人の死生観を読む』が紹介されていました。
以下の通りです。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120318ddm015070013000c.html


今週の本棚:沼野充義・評 『日本人の死生観を読む』=島薗進・著 (朝日選書・1470円)
◇むき出しの「死」とまともに向き合うために
 文明はおぞましいものを人の目から隠す。その最たるものは死だろう。特に日本では報道でも死体を映しだすことを極力避けるので、いまの子供たちは人の死に直面することがほとんどない。ところが、昨年三月の大震災は突然、死をむき出しの形で私たちに突きつけた。一方、原発事故はまだ放射能による死者を出していないと指摘する人がいるとはいえ、多くの人々と広大な土地と自然を緩慢な死の潜在的な危険にさらした。

 そんな折に、ぜひ読むべき好著が出た。『日本人の死生観を読む』は、近代日本において「死生観」を表現した日本人の書物やテキストを読み解いていくことによって、人の生き死にとはいったい何であるのか、考える本である。著者は「死生学」という耳慣れない多分野的学術研究のリーダー格として尽力してきた宗教学者。「納棺師」、つまり死者を葬儀の前に棺に入れる儀式に携わる人を主人公とした映画「おくりびと」とその原作から説き起こし、「死生観」という言葉を確立した明治時代の宗教思想家、加藤咄堂(とつどう)にいったんさかのぼり、それから作家の志賀直哉、民俗学者の柳田国男とその業績を引き継いで独自の学問体系を展開した折口信夫、戦艦大和に乗って沖縄特攻作戦をかろうじて生き延びた吉田満、そして最後には、がんと直面して生きた宗教学者の岸本英夫と作家の高見順へと、考察を進めていく。

 ここに登場する死生観はじつに多様であり、ここで簡単に要約することはできない。儒教・仏教・武士道を背景に「死生観」を打ち立てようとした加藤咄堂に対して、乃木大将殉死の報(しら)せを聞いて「馬鹿な奴(やつ)だ」と日記に書いた志賀直哉。日本の「常民」に見られる「円環的」(生まれ変わりを信ずるといった)死生観を理解しながら、それが近代社会においてどのように生かされうるのかについて考えた柳田と折口。戦争やがんといった、個人の力では対抗できないものに直面し、虚無を見てしまったところから、改めて生の意味をとらえ直した吉田満や高見順。

 ちなみに、ロシアの文豪トルストイは、若いころ、ある田舎町の宿で夜中にはっきりした訳もないのに、それまで体験したこともない激しい死の恐怖に襲われたという。ある意味では、その後の彼の生と巨大な作品の数々は、その恐怖を克服しようとする努力の軌跡だった。私たちはよりよく生きるためには、そして、生きることの喜びを感じるためには、死を見つめなければならない。それはまた本書から響いてくるメッセージでもある。島薗氏の書き方は学者的でつねに冷静、思いのたけを感情的に吐露するということはないが、それだけにここで取り上げられている事例の一つ一つが重く胸を打つ。

 本書の効用のもう一つは、優れた文学作品の力を改めて、死生観という角度から照らし出してくれることだ。冒頭に引用される宮沢賢治の「ひかりの素足」は、雪の中で死にゆく弟を必死に助けようとする兄の話だが、生と死を見つめる賢治の透徹したまなざしには、誰しも心を揺さぶられることだろう。学校で読まされたとき退屈だった志賀直哉の『城(き)の崎にて』も、見違えるようだ。

 私は根が軟弱なので、いまだに権益を守ることや保身に汲々(きゅうきゅう)としているように見える電力会社経営者や、役人や、御用学者たちに、「責任を取れ」などとは言わない。ただ、せめて死にまともに向き合いなさい、と言いたい。どうかこの本を読んで考えてください。

宗教学者の著書が全国版の新聞で紹介されることって珍しい(よくわかりませんが…)かと思い紹介いたしました。

3/19/2012

ゟの読み方

古文書などに出てくる「ゟ」の文字。
読み方は「ヨリ」というそうです。
ある人から聞かれていろいろと探していたら見つけることができました。
wikiにもちゃんと項目がありました。(本当になんでもあるんだなぁ~)

そこには「近世から近代の日本で使用されており、主に手紙の差出人の末尾にしようされる」とあります。

ATOKではでなかったんですけど、 IME2010だとこの文字が出てきました。

本当に知らないことがたくさんあるもんです。

3/16/2012

吉本隆明さん87歳【訃報】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120316-00000012-mai-soci

こちらに吉本隆明さんが亡くなった記事が掲載されていました。

【以下抜粋】
1960年代の新左翼運動で教祖的存在と目され、独自の思考に根ざした文化・社会批評で戦後思想界に大きな影響を与えた詩人、評論家の吉本隆明(よしも と・たかあき)さんが16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の病院で死去した。87歳。葬儀は近親者のみで行う。喪主は未定。
24年、東京・月島に生まれた。東京工業大電気化学科在学中、徴用動員された富山県魚津市で終戦を迎えた。47年に同大を卒業後、中小工場の技術労働者として労働組合運動により失職を繰り返し、この間、執筆活動を始めた。
長編詩「固有時との対話」(52年)、詩集「転位のための十篇」(53年)を発表し、54年に「荒地」詩人賞を受賞。詩壇で活躍する一方、「高村光太郎」(57年)などで文学者の戦争責任を論じた。転向論をめぐって花田清輝と論争し、注目を集めた。
60年安保闘争に参加し、61年に雑誌「試行」を創刊(97年終刊)。独自に左翼思想を分析・解明し、旧来の前衛諸党派を厳しく批判した。文学上も言語 論に基づく斬新な思想形成を進め、「言語にとって美とはなにか」(65年)、「共同幻想論」(68年)、「心的現象論序説」(71年)などを書いた。外来 思想に依拠した近代日本の文化全般に痛烈な批評を続け、60年代後半の大学紛争では著作がバイブル視されるなど、60~70年代の青年層に広く影響を及ぼ した。
80年代以後は、サブカルチャーを含む文化・社会の変化を多面的に探究。「マス・イメージ論」(84年)、「ハイ・イメージ論」(89~94年)など、 消費社会に生きる大衆の実相に寄り添う評論を発表した。一方、「最後の親鸞」(76年)などで宗教を手掛かりに日本人の精神構造を問い、95年のオウム真 理教事件についても積極的に発言した。
「吉本隆明全著作集」「吉本隆明全集撰」があるほか、著書は膨大な数に上る。2003年に「夏目漱石を読む」で小林秀雄賞、「吉本隆明全詩集」で藤村記 念歴程賞。09年には宮沢賢治賞を受賞するなど、最晩年まで旺盛な著作の発表を続けた。作家のよしもとばななさんは次女。
今年1月にかぜをこじらせて入院、療養に努めていた。


2/08/2012

島薗進

これからは研究者のブログやHPのリンクを貼っていきます。

ブログなんかをまめに更新している先生もいれば、全く関心の無い先生もいたり、ブログを開設したけど何年も更新していない方などなど。

とりあえず今回は個人的に好きな島薗先生のリンクを貼ります。

http://shimazono.spinavi.net/

1/15/2012

宗教文化士58人誕生

昨年11月に全国6カ所で初めて実施された宗教文化士認定試験の結果が公表されました。合格者は58人、合格率は63%。資格の有効期間は5年間で、合格者にはサポート体制を準備しているらしいのですが、どのようなサポートがあるのかはまだ分かりません…

これに関してなるほどっと思ったのは、資格を特定の宗教の批判あるいは布教の手段に用いてはならない、とする倫理規定を設けているところです。

 宗教文化士は日本宗教学会と「宗教と社会」学会が母体となって設立された「宗教文化教育推進センター」(略称CERC、国学院大学内)が実施する認定制度でここ数年学会の中でも議論がされていました。大学3年生以上、宗教学関係の16単位以上を取得したことなどが受験資格で、毎年2回実施し、宗教に関する幅広い知識、理解力を問う。

なお、第1回の試験の全出題と解答は 宗教文化教育推進センター のホームページで公開されている。

そこには宗教を学ぶためのテキストも紹介されています。おぉ~というのから、何でこのテキストが?と思うものなどがあるかもしれませんが、興味深いものだとおもいます。

試験は数問してみましたが、一応答えられる範囲で良かった…

記号選択式
論述式

解答


1/01/2012

謹賀新年


明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い致します。