12/09/2011

中沢新一さんと緑の党

最近エコに関連してドイツ発の「緑の党」が話題にことかきません。

その中で中沢新一氏が党か出馬?と分かりませんが、話があるそうです。中沢氏は東大の宗教学研究室で柳川先生のお弟子さん(?)なんだそうです。宗教学、人類学がご専門の先生です。

以下記事を記載しておきます。

10月3日と6日の東京新聞(中日新聞)で “中沢新一さんが「緑の党」を「結党」へ” などと報道されたことで、みどりの未来にも「この報道は、みどりの未来のことですか」「中沢さんらが立ち上げる団体とみどりの未来の関係は、どうなっているのですか」という問い合わせが何件も来ています。ネット上でも話題になっています。

 この件について報告します。

 10月3日の新聞報道の後、中沢新一さんとみどりの未来で話し合いをもちました。

 そこでは、「両者は競合関係ではなく友好協力関係である」「脱原発を実現するためには、さらに大きな政治的パワーが必要であり、今後両者が友好協力関係を築いていく」ことが合意されました。

 そのうえで、中沢新一さんは「11月にも立ち上げる団体は、『緑の党』という名称ではない」「国政選挙など選挙に関わる意向はない」と述べられました。

 以上の合意と実状を確認したうえで、今後も必要に応じて協力しあうこととなりました。

 みどりの未来は、脱原発をはじめ日本社会を希望あるものへと変えるためには、国会に「緑の党」を登場させることが必要だという認識を、改めて強くし、責任の重大さを感じています。

 今後もさまざまな人やグループとの連携・協力を強化してまいります。
 みなさまのより一層の応援・協力・賛同を、よろしくお願い致します。

11/22/2011

固定ページの追加

固定ページを追加しました。
とりあえずというおなじみのことなんですけど、じわじわとゆっくりと情報の記載に努めて参ります。

11/21/2011

「アイヌ民族党」

アイヌ民族初の政治団体の結成を目指して、10月末に発足した準備会(代表=萱野志朗・二風谷アイヌ資料館館長)が20日、札幌市内で開かれ、団体の名称を「アイヌ民族党」とし、来年1月21日に結成大会を開くことを決めた。という記事がありました。

こういった記事をみると来年の人類学系の学会や研究会でもいろいろと議論されるんだろうな~と勝手に思いました。

しかもこの準備会での基本政策として

「アイヌ民族の権利回復と教育・福祉の充実」
「多文化・多民族共生社会の実現」
「自然との共生を基盤とする持続可能な社会の実現」

の三つを掲げることも決定した。とあります。いかにも人類学・民族学という感じのワードが使われてるな~って思ったんですけど、これらがアイヌの方々が身近に感じていることでもあるんだろうって思い学問と現場とが繋がる接点みたいなものがあるんだろうな~って思いながら楽しみにしてます。

11/14/2011

ミルチャ・エリアーデ Mircea Eliade

ミルチャ・エリアーデ Mircea Eliade

言わずとしれた宗教学の世界的権威(?)

こんな顔をしてるとは知りませんでした。

『聖と俗 宗教的なるものの本質について』がおすすめですね。




それにしてもYouTubeにはこんなものもあるのかと改めて驚きました…


11/13/2011

国家神道と日本人



この新書は国家神道という明治維新前後の宗教形態を明らかにすることで、日本人の宗教観のようなものを明らかにすることを目的としている本というのが感想でありました。

このような試みは神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103) に代表されるようにかなりの研究の蓄積がある分野と言えるかと思います。

それも踏まえて読んでみると良いかと思いますが…

11/03/2011

文化の政治と生活の詩学

長谷千代子さんの『文化の政治と生活の詩学 ―中国雲南省徳宏タイ族の日常的実践』をご紹介致します。


この本はもともとタイの東北部で調査をしていた長谷氏が中国の雲南省のタイ族に関心を持って調査をし、九大に提出した博論がベースになってます。

内容は書評も出てますし、購入して読んで頂ければ分かるのですが、人類学、宗教学といった学問を横断しつつ、書き上げられてます。

日本宗教学会と国際宗教研究所から二つの賞を獲得しているんだそうです。

確かにこの本の内容は勿論ですが、文章も良い感じになってます…

10/25/2011

文化人類学・学術振興の山口昌男氏(80)に文化功労者

今日のニュースで政府が文化勲章受章者と文化功労者を決定した。という記事をみました。

 そこには文化人類学・学術振興の山口昌男氏(80)の名前がありました。 

私の中ではアフリカ研究者というイメージがあったんですけど、それいがいの著作も数多くのこされている先生です。

私はもちろん面識はないのですが…

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%98%8C%E7%94%B7

 wikiのリンクを張っておきます。

下の二冊は個人的に好きな先生の本を掲載しておきます。


10/24/2011

クロード・レヴィ=ストロースと小田亮先生


今なんでいまさら?と言われそうですけど、クロード・レヴィ=ストロースを読み返しています。この先生のことは今更書くことは無いんですけど、その中で、いろいろと調べていくと小田先生はレヴィ=ストロースの研究でもかなり有名な人なんだということを知りました。
レヴィ=ストロースだと吉田禎吾先生あたりの名前が出てくるように思うんですけど、まだまだ勉強不足でした。
下記の記事は小田先生が自身のブログに掲載している文章を転写しました。






 http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091104#1257337628からの引用
10月30日に100歳で亡くなった人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、20世紀最大の知的革命であった「構造主義」を主導したことで知られている。
レヴィ=ストロースがその著書『野生の思考』(1958年刊)のなかで行った、当時の知的英雄のサルトルへの批判で一気に注目されるようになった構造主義は、それ以前の知的潮流である現象学や実存主義と違って、哲学者だけによるものではなく、広範な学問分野を巻き込んだものだった。それは、サルトルの実存主義を含めて、西洋の思想が囚われていた「歴史主義」に対して、「野生の思考」から根本的な批判をしたものだった。
彼の構造主義が疑問を投げかけたのは、いまも私たちのなかにのこっている「歴史は進歩する」という信念と「個人の能動的な主体性」という価値観に対してだった。
そのため、構造主義は、歴史や人間の創意を軽視したものだとか、人間を構造の檻に閉じ込めるものだとか言われた。しかし、それは、構造とい う概念への誤解と、西洋近代が創りあげた価値観にとらわれているための誤解によるものといえよう。レヴィ=ストロースによれば、歴史の進歩という信念は 「歴史によって自らを説明することを選んだ」西洋近代の文明でしか意味をもたない信念だ。構造主義が歴史を軽視したという批判は、それが歴史主義によって 自らのアイデンティティを創りあげた西洋近代への根本的な批判だったことを理解しきれなかったことからきているといっていい。
また、「構造の檻」などというとき、なにか建築の 構造や社会構造のように固定された客観的実体ととらえてしまっているように思う。けれども、構造主義の構造はそういったものではない。なぜレヴィ=スト ロースが誤解されやすい「構造」という語を用いたのかということを説明するためには、彼がその「構造」というアイディアを得た1940年代初頭のニューヨークに話をもっていかなくてはならない。
レヴィ=ストロースの構造主義は、1950年代のパリではなく、1940年代のニューヨークで生まれた。1941年にアメリカに亡命したレヴィ=ストロースは、翌年にローマン・ヤーコブソンと出会い、構造言語学の音韻論を学んだ。そこから、レヴィ=ストロースは「無意識のうちに働く二項対立群」というアイディアを引き出す。また、彼が「変換(変形)」の概念を学んだという生物学者ダーシー・トムソンの『成長と形態 第二版』は1942年に出版されており、これもニューヨークで読んだ可能性が高い。そして、学位論文である『親族の基本構造』を書きあげたのもニューヨークであったが、そのなかの分析のために、同じく亡命中だった数学者のアンドレ・ヴェーユ(シモーヌ・ヴェーユの兄)を訪ねて、数学的構造主義の教えを請うたのもニューヨークにおいてだった。ニューヨークという街でのいくつもの出会いが「構造」というアイディアを形作ったのだ。
その「構造」という概念を理解するうえで重要なのが「変換」というアイディアである。レヴィ=ストロースのいう「構造」は、同じく要素と要 素間の関係からなる体系(システム)とも違っている。体系は変換が可能ではなく、体系に手が加わるとばらばらになってしまうけれども、構造は、要素や要素 間の関係が変換して別の体系に変化していっても、なお変わらない何かを指している。変換によって現われた新たな体系ともとの体系のあいだの関係が構造だと いってもいい。つまり、構造は、変換を通じてはじめて現れる。別の変換をすればまた別の構造が出現するのである。それには始まりも終わりもない。
このような構造という概念をみれば、構造主義が人間を構造の檻に閉じ込めたという言説が意味をなさないものだということがわかる。むしろ、レヴィ=ストロースは、変化しながら多様性を生成する構造の「連なりの場」へと人間を解き放ってくれたといったと言ったほうがいい。
そして、この構造という見方からすれば、人間の創造力は「連なりの場」にあるものとしてとらえられる。「連なり」から切り離された個人の能 動性に重きをおく西洋近代の価値観とは違って、それは、他人から与えられたものに、その他人の意図とは別の新たな様相を与えていくような創造性である。レ ヴィ=ストロースは、そのような人間の創造性を分析する手立てを、現在翻訳が刊行中の『神話論理』全4巻として遺してくれた。
私たちはいまだに近代というただひとつの文明のみに適合している。そのことは、構造主義からポスト構造主義へという知的潮流(それは西洋哲学へ の回帰でもあった)が人びとからあたかも「歴史の進歩」のようにとらえられていることからにも示されている(実際には、ポスト構造主義も「歴史主義」の終 焉を共有していたのだが)。そこでは、人と人とが具体的に関係しあい包括的に理解しあう「連なりの場」(レヴィ=ストロースはそれを「真正な社会」と呼ん だ)から私たちは切り離され、そのために多様な創造性をもっていた「野生の思考」は均質的な「栽培された思考」となってしまっている(もっとも、レヴィ= ストロースは1968年のあるインタヴューで、いつのも悲観主義を引っ込めて、インターネットを予言していたかのように、「マスコミュニケーションの 新しい諸手段が、いわば『野生の』状態で生まれてきている」ことに期待し、その「新しい諸手段」が文化を均一化しようとする傾向をもつことは確かだが、そ れが「一方向にのみ働きかけるのではない」こと、そして今日の若者が自分自身の文化を、両親の世代の文化とはまったく異質のものとして作り上げることを可 能にするのもマスコミュニケーションの諸手段なのだと述べていた)。そのような現在、「ただひとつの文明に適合」することが、人類の多様な創造性を見えな くしてしまうのだということを示してくれたレヴィ=ストロースの人類学の真価は、ようやくこれから認められていくに違いない。




10/15/2011

イスラム教からキリスト教に改宗したイラン人牧師


ブログのタイトルは関係ありませんが、気になった記事を毎日新聞で見つけましたので、書いてみます。

イスラム教からキリスト教に改宗したイラン人牧師に対し、死刑判決が確定する可能性が高まり、欧米の政府・人権団体から批判が高まっている。イスラム共同体の安定を重視するイランと、個人の自由を優先させる欧米との価値観の違いが対立を生んでいるようだ。

牧師はイラン北部ラシュトで約400人の信徒を持つ男性のユセフ・ナダルハニ被告(32)。イラン学生通信などによると、被告は、キリスト教に改 宗したとして09年10月に、イスラム教侮辱の疑いで逮捕された。弁護士は「牧師は19歳でキリスト教徒になった。それ以前に特定の宗教を信じているとの 認識がなかった」とし、改宗に当たらないと主張。しかし、09年11月にラシュトの地裁はナダルハニ被告に死刑を言い渡し、10年9月に高裁もこの判決を 支持した。

一方、最高裁は今年6月、高裁に審理の差し戻しを命令。高裁は9月末、イスラム教徒に戻るよう再三求めたがナダルハニ被告が拒否した。高裁は今月9日、判決を前に最高指導者ハメネイ師に死刑是非の判断を委ねた。

イスラム教シーア派を国教とするイランでは、キリスト教やユダヤ教の信仰を認めている。しかし、イランに限らずイスラム社会は改宗を許しておら ず、原則的に死刑が相当と考えられている。人権問題に詳しいテヘラン在住のキーア・メマルザデ弁護士(36)によると、これまで改宗を理由にした逮捕者は 複数いるが、死刑が確定した例はないという。

米英政府や欧州連合のほか各地の人権・キリスト教団体は、イラン政府に牧師の釈放を要求している。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」 のジョー・ストーク中東局長代理は「イランは21世紀に入っても個人に『信仰か死か』の選択を迫る数少ない国のひとつ。死刑は論外」としている。

http://mainichi.jp/select/world/mideast/news/20111015k0000m030129000c.html



改宗牧師、死刑の可能性 欧米で批判高まる 小杉泰・京都大大学院教授



中東では、何を信仰するのかは、個人ではなく共同体によって決まる。生まれた時に属する宗教共同体の信徒となるので、通常はイスラム教の社会に生まれたらイスラム教徒、キリスト教ならキリスト教徒になる。
 西洋や日本のように個人主義が発達した社会では理解しにくいが、中東ではそれが常識だ。宗教間では互いの宗教を尊び、信徒を奪い合うことは好まれない。
 イスラム法では棄教(改宗)は死刑とされる。ただ実際に死刑にすることは少なく、棄教の考えを捨てるまで禁錮刑という場合もある。
 だがイランは法学者がイスラム法に基づいて統治する宗教国家であり、改宗を許せば、国家や社会の安定を揺るがす。それに加えて、欧米による経済制裁などもあって、キリスト教への改宗を外部からの攻撃と感じているのではないか。
 今回の事件でも、西洋的な価値観で批判されることはイランも分かっている。判決が確定すれば、国内への影響も見極めた上で、政治的な判断をする可能性はある。

http://mainichi.jp/select/world/mideast/archive/news/2011/10/15/20111015ddm007030146000c.html

イスラムに関してはあまり知識が無いのでなんとも言えないんですけど、確かに信仰の自由って西洋思想(キリスト教)がベースになってることは否めないと思います。
日本でもGHQの影響下での憲法制定でしょうし。解釈はいろいろとあるかもしれませんが、ベースになってるのは西洋思想でしょう。

どうなるのか個人的に関心があったので、ここに書きました。


9/13/2011

暗黙知の次元

マイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』です。 こちらも言わずとしれた世界的に(?)有名な書籍です。 宗教研究をする上では必読の書籍だと思います。 こちらもデュルケムなどと一緒で引用も紹介も議論はかなりされていますし、ネットにありますからそちらを参考にして頂いた方が、良いと思います。 とりあえずとても良い本です。

9/10/2011

宗教生活の原初形態 岩波文庫

以前にも掲載しましたが、言わずと知れた古野清人先生訳のデュルケムの『宗教生活の原初形態』です。これは絶版したみたいだったんですけど、岩波文庫から再版されてまして、おもとめやくすなりました。

私が購入したときはまだまだ高かったんですけど、今は安くなりました。というかこの値段でこの書籍が買えるならかなりお得です。

翻訳は古野先生。姉崎正治のお弟子(?)さんなのかは分かりませんが、日本での宗教社会学ではかなりの大物です。

天理外国語学校(現在:天理大学)の校長もしていたり、九大の宗教学講座の教授をしたりと有名な先生です。

本の内容は何か記載しようかと思ったんですけど、いろんなところで議論がされてますし、引用も多い文献ですので、ご感想はそれぞれの方にお任せ致します。








9/07/2011

天理教と雅楽 其の一

 天理教の儀礼などに使われている雅楽について不定期でなおかつ短文で掲載していきます。  雅楽とは、俗楽に対する雅正の楽の意味だそうです。  しかし音楽に本来雅俗の別はありません。  主にその音楽が、例えば、儀礼や祭祀などとの結びつきのように、いわば、社会において果たしてきた役割や文化的、民族的嗜好性などによって区別されてきた。したがって、一口に雅楽といっても、国によってあるいは歴史的にも相違する点はある。

9/01/2011

宗教者災害支援連絡会(宗援連)

3月11日の震災後、東京大学の宗教学研究室や東京大学の仏教青年会などがが中心となって宗教者災害支援連絡会(宗援連)が立ち上げられたことを先日書きましたが、サイトを見つけることができなかったのですが、見つけたので書きました。

情報が遅くて情けない…

宗教(者・教団)関係の方々でネットワークを築き宗教(者・教団)で復興に役立つことをやっていきましょう。という組織のようです。

頻繁に研究会や現地での活動をされているようです。

宗教間対話を通じての活動でしょうから個人的にも興味深く、かつ大変意義のあることだと思って見ています。

8/31/2011

秩序の方法

今日は個人的に大好きな本を紹介します。

浜本満氏の「秩序の方法」です。

この先生は文化人類学の先生です。フィールドはアフリカ。主に呪術の研究をしていてその筋では有名な先生だそうです。

このテキストはおもしろかったんですけど、購入しようにも売っていないのが残念なところです…

「秩序」という概念を人類学から上手い具合に書いてるので、とてもおもしろかった。というざっくりした感想です…


8/25/2011

ブログの数

 最近ふと疑問に思ったのが、ブロガーと呼ばれる人たちはいったいいくつぐらいのブログなりウェブを管理してるんだろうか?

 PVの数がいくつぐらいだとどうですよ~て感じのサイトはよく見かけますが、いくつぐらい管理しててPVがいくらでっていうのは見ませんよね。

 ブログをリンク用として所有してるパターンもありそうですけど、どうなんでしょうか。

 やっぱり数より質なんでしょうけど、なかなか難しいんですよね。

8/11/2011

震災を受けて

3月の震災から早いもので、五ヶ月がたとうとしています。

今日のNHKで宮崎駿親子の特集を見たんですけど、やっぱり職人というかプロというか考え方が大変なもんだと感嘆してしまいました。

震災に対しての構えというかなるほどな。と思いました。

今回の震災で日本(人)に与えた影響というのは、目に見えにくい部分にも大きな影響があるんだと思った次第です…

実際、東大の島薗先生が発起人で宗教家の震災対策室(?)みたいなものが出来ていたり、人類学、民俗学、社会学などなどの学問分野でも災害、地震、環境などの分野に関する議論が活発になってきているようにも思います。

具体的なことは何一つかいておりませが…

8/07/2011

人類学者・岬久美子の殺人鑑定

すでにご存じの方もいらっしゃるのかもしれませんが、私は初めてこのドラマを見ました。
普段はTVをあまり見ないので、知らなかったんですけど、新聞のテレビ欄で見つけまして、見てみました。

人類学者とあるので、どんなもんかと思いましたが、ちょっと残念でした。主人公は法人類学?形質人類学?がご専門という設定のようですし、監修には橋本正次(東京歯科大学)先生とありました。

タイトルに人類学者とありましたので、もう少し違う分野を全面に出していたら良かったと個人的に思いました。法人類学も形質も立派な人類学の一分野ですので、タイトルは良いんですけど…

「人類学者」というタイトルがテレビに出るのか~!!って思ってしまいました。また次の機会に期待です。

7/31/2011

支援のフィールドワーク

支援のフィールドワーク―開発と福祉の現場から
小國和子、亀井伸孝、飯嶋秀治(編)

3月におきた震災の後、なにか人文系(特に、人類学、宗教学、民俗学周辺)の研究分野で有用な本は無いかと探しているときにこの本に出会いました。

論集になっているんですけど、若手と呼ばれる研究者が執筆をしてまして、それぞれの研究地(フィールド)を通して、「支援」というものについての議論を展開してます。
(まだ全部読み込んでいないんですけど…)

ご興味のあるかとは是非どうぞ。

7/22/2011

国家神道と日本人

国家神道と日本人
東京大学の島薗先生の著書です。

私自身はなかなか興味深く読んでよかったんですけど、今日は内容よりもネット上で掲載されている「批判」の応酬を少し。

結構有名な先生がこの本をかなり批判的に書いて、ネットに掲載しているんですけど、それに対して島薗先生のブログでもそれに対する返答(?)が掲載されてます。

なんでこんなことになったのかはネットで調べればすぐに出て来ますので、ご興味のある方は読んでみて下さい。

私個人の感想はこの本は国家神道、新宗教に感心のある人は読むべきかと…

有名な研究者が実名で批判しているのが少し新鮮でおもしろかったというのが正直なところですけど…

http://chikyuza.net/n/archives/3705
http://shimazono.spinavi.net/?p=127


6/24/2011

マルセル・モースの世界

マルセル・モースの世界はモース研究会から近刊の『モース著作集』全6巻に先だってだされた本みたいです。特に関一敏氏の第4章宗教「コトバとモノ―モース宗教社会学の基本要素」がおもしろかった。

それと岡本太郎との関係なんかも知りませんでしたので、おもしろい一冊でした。


6/17/2011

島薗先生のブログ

福島原発事故災害への日本学術会議の対応について
http://shimazono.spinavi.net/?p=225#more-225

というブログの記事を読んで研究者とはこうあるもんかと感じましたので、紹介します。

確かに原発問題の件を研究者はどう見てるんだろうか?と思うこともあったんですけど、この記事を読んでなるほどと思いました。

5/26/2011

ツイッター募金

ツイッター募金
なるものを見つけました。

一日一回つぶやくと一円の募金になるそうです。

なんとなくやろうと思いましたので、こちらでも紹介させて頂きました。

かなりの後発組に属しますが、少しでもとおもいましたので。

5/20/2011

Kindle向け電子書籍が紙版を越えた。

米Amazon.comは5月19日(現地時間)、電子書籍リーダー「Kindle」向けの電子書籍の販売部数が、同社での紙版の書籍の販売部数を上回ったと発表した。これには驚きました。そのうち抜かれると思ってはいましたが、こんなにも早いものかと…

 4月1日からの書籍販売で、印刷版書籍(ハードカバーおよびペーパーバック)100冊に対してKindle版が105冊の割合で売れているという。この部数には、Kindle版のない印刷版の部数が含まれており、無料のKindle版書籍は含まれていないんだそうです。確かに英語(amazon.com)で購入しようとすると電子書籍の方がだいぶ安いですからね。

 Kindle向け書籍は2010年7月にハードカバーの販売部数を上回り、その6カ月後はにペーパーバックも上回っている。
 2011年の時点で、同社は前年の同じ時期の3倍のKindle向け書籍を販売しており、紙版書籍の販売も伸びているという。

 ジェフ・ベゾスCEOは「いつかこの日が来ることを強く望んではいたが、これほど早く実現するとは思わなかった。われわれは紙版の書籍を15年販売しており、Kindle版販売開始からまだ4年も経っていない」と語った。

 現在販売されているKindle版書籍は95万タイトル以上。
 これらの書籍は専用リーダーのKindle以外に、モバイルアプリによって米AppleのiOS、米GoogleのAndroid、BlackBerryなどを搭載したモバイル端末やPCでも読むことができる。

 これからエコや価格などの複合的な作用でものすごいスピードで変わっていくんだろう思いました。

 最近は学会誌も電子版のみってところも見るのでこれからは変わるんでしょうかね。

3/30/2011

これから「正義」の話をしよう

最近話題に(もう古いかもしれませんが)なっていたマイケル・サンデル教授の本です。

この本が何が話題なのかというとやっぱりプレゼン能力がはるかに凄い。ということなんだと思います。

この先生はコミュニタリアンということは有名な話なんですけど、それから議論を展開しつつ、学生にも特に難しくはないけど、答えが出ない。(出にくい)議論をなげかけ、話を進めていく。という方法をとっているみたいです。

それだけでハーバードの学生が14,000人も履修登録したとは思いませんけど、ここでは書ききれない何か卓越した技術があるんだろう。と勝手に思ってます。

こういう思考になることが天才(肌)ということなんでしょうか…

1/20/2011

翻訳の思想(日本近代思想大系)

下記の本は実はまだ読んだことが無くて、探している本です。
読みたいけど、なかなか図書館でも借りられず…購入するにも高いし…

というところですね。

でも知り合いの先生曰く良い本なんだそうです。
それに丸山眞男ですし…

読んだことがある方は感想を聞かせて頂ければ幸いです。

1/09/2011

ciniiのバナー

みなさんご存じのCiNiiのバナーがありましたので、追加しました。

やはりこのサイトにお世話になることは多々あると思いますので、ちょうど良いかと思いました。

使用上はいろいろと制限がありますが、資料を調べるのに使用するというだけでも大変良いと思います。

1/03/2011

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

本年はもう少し記事を増やして行きたいと考えております。

本年も宜しくお願い致します。