9/02/2013

言語学の教室−哲学者と学ぶ認知言語学

毎日新聞の書評でおもしろい本が紹介されていたので、掲載します。

確かに生成文法と認知言語学っていまだに相容れないというか、競い合ってる部分というのがあるのかもしれませんが、私はどちらの支持者でもなく、ただ言語学に興味のある者としてはただただおもしろい。という感想ではあります。
生成文法では、脳の言語野に損傷を持たない人間は幼児期に触れる言語が何であるかにかかわらず驚くほどの短期間に言語獲得に成功するのは、言語の初期状態である普遍文法を生得的に
備えているため
生成文法では生得的な言語知識として記述や説明がされてきた言語現象を、一般的な認知能力の発現として捉え、記述・説明を行っていく。

人間だから普遍的な言語能力はあるでしょうけど、普遍文法があるのかはわかりません…

http://mainichi.jp/feature/news/20130901ddm015070005000c.html

今週の本棚:沼野充義・評 『言語学の教室−哲学者と学ぶ認知言語学』=西村義樹、野矢茂樹・著

毎日新聞 2013年09月01日 東京朝刊

 (中公新書・882円)

 ◇心の仕組みが生む「言葉」を見つめ直す

世の中には、言葉に興味を持つ人は多くても、言語学と聞くと、敬遠したがる向きが少なくない。確かに言 語学といえば、聞いたこともない珍しい言語を調べたり、複雑きわまりない文法の規則を吟味したり、数学も顔負けの込み入った式を使って文の構造を分析した り。素人にはなかなか足を踏み入れられない領域と思われてもしかたない面がある。
 しかし、本書はそういった言語学のイメージを一新するような楽しい入門書だ。認知言語学を専門とする西 村義樹氏に、哲学者、野矢茂樹氏が生徒役になって聞くという対話の形で進められるので、とても読みやすいが、同時に言語を使う人間の心の働きについて深く 考えさせられる内容になっている。野矢氏は先人の学説を解釈するだけの研究者ではない。心と言語について独創的な論を切り拓(ひら)きながら、それを平易 な言葉で語れる本物の哲学者である。彼が鋭いつっこみを入れると、真面目な言語学者がすべてについて緻密に対応していく。わくわくするような学問的対話が たっぷり味わえる。
 具体的な例を挙げよう。日本語には、「雨に降られた」といった言い方がある。一種の受身の文だが、英語 では同じような受身の文は作りにくい。「降る」が自動詞だからである。こういった「間接受身」は日本語の特徴の一つで、被害や迷惑をこうむったときに日本 人の口から自然に出てくる構文だろう。ところが、西村氏によれば、日本語を学ぶ外国人は、間違った類推をして「昨日財布に落ちられました」などと言うこと があるという。これは日本語として明らかにおかしいが、どうしてなのか?
 他にも面白い例が満載だ。「がんが毎年、数十万人の人を殺している」といった、無生物主語による「使役 構文」の翻訳が、どうして日本語では自然に響かないのか? 私からも例を一つ付け加えれば、アメリカで煙草(たばこ)を買うと「喫煙は殺す」 (Smoking kills)と書かれていてびっくりする。その違和感の原因は警告があまりに単刀直入であるだけでなく、構文が日本語に馴染(なじ)ま ないからでもあるのではないか。