2/27/2013

文化人類学者の岩田慶治氏が死去


岩田慶治先生が亡くなったそうです。
正直まだ生きておられたのか。ということもあったのですが、やはり残念です。
東南アジア関係の人文系学問の研究では日本の第一世代だと思います。
著作も多数ある方です。

東南アジアの民族学研究を通じ、アニミズムの復権を唱えた文化 人類学者で国立民族学博物館名誉教授の岩田慶治(いわた・けいじ)氏が17日午前7時ごろ、肺炎のため京都市東山区の病院で死去した。91歳。横浜市出 身。葬儀・告別式は19日午前11時から京都市中京区上樵木町503の1、かもがわホールで。喪主は妻美代子(みよこ)さん。

 1946年、京都大学文学部卒業後、東京工業大教授などを務めた。タイ、ラオス、カンボジアなどでフィールドワークを重ね、東南アジアの少数民族を中心に社会構造、農耕儀礼、精神文化を考察。アジア的文化人類学の立場に立ち、アニミズム的世界観の復権を唱えた。

2/05/2013

宗教のレトリック

「宗教のレトリック」 中村圭志著 文章技法がもたらす心理作用

というこの著書の書評が日本経済新聞に掲載されていました。
評者は橋爪大三郎氏
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO51030200W3A120C1MZC001/
以下は抜粋です。


宗教学者中村圭志氏の手にかかると、キリスト教も仏教も儒教もイスラム教も道教も、レトリックの塊(かたま)りであると明らかになる。

 レトリックとは、直喩/隠喩/換喩/提喩/誇張/対比/列叙/逆説/…といった、文章技法の総称。レトリックに詳しい中村氏はこれら素材別 に、さまざまな宗教のテキストを料理し、10章に仕上げた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」(イエスの説教)は対句。「善人なほもて往生をとぐ、 いはんや悪人をや」(歎異抄)は逆説。本書はさながら「世界の宗教レトリック大全」である。
 宗教学者はそもそも、逆説めいた存在だ。いっぽうでさまざまな宗教を、客観的・学問的に考察する。特定の宗教にとらわれるわけにはいかな い。だがもういっぽうで、宗教が人びとをとらえる強烈な磁力の核心に迫っていく。それには宗教にひきこまれる瀬戸際まで、身を乗り出さなければならない。 著者はこの矛盾を、どう引き受けようとするのか。
 本書は宗教を、かずかずのレトリックの心理作用が人びとがとらえる働きに、還元する。そして、さまざまな宗教のテキストをばらばらにし、レ トリックの技法に従って配列する。こうした相対主義の手順で、宗教は安全で無害なものになる。レトリックなら文学者におなじみで、その作用もたかが知れて いる。だが宗教は、レトリックに還元できるものなのか。
 著者はこうも言う。《我々はみな、自分が世界の中にどうやって…生まれ出るのか、その不思議さをうまく理解していない》。こうした《実存の神秘》や《文化の恩寵(おんちょう)》は曖昧にしか意識できないから、《神仏の存在》を空白のように確保しておくのだ、と。
 『信じない人のための…』シリーズの著者でもある中村氏は、信じないことにこだわっている。信じさせる宗教の力に、それだけ深く魅了されて いるとも言える。レトリックは、宗教の強烈な磁力から中村氏を隔てる防護柵のようなもの。こうした逆説的な仕掛けを必要とするほど、宗教はパワフルなので ある。その威力の輪郭を本書は、読者に届けてくれている。