seesaa

8/24/2012

比叡山メッセージ2012(付・宗教界の脱原発声明等概観)


比叡山の宗教サミットの共同メッセ―ジを島薗進先生のブログで見つけましたので、記載させて頂きます。
これから宗教(者・教団などなど)


(25周年を迎えた「比叡山宗教サミット」の参加者による共同メッセージをそのまま転写します。また、その後に、諸宗教集団・宗教者による脱原発の声明や意見表明を概観した文章を添えてあります。)
2012年8月3,4日、比叡山宗教サミット25周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」に参加するため比叡山山上に結集したわれわれは、平和を願う世界のすべての人々に心からメッセージを送りたいと思う。
人類は有史以来、大自然の豊かな恩恵によって生命を維持し、さらにより利便性に富み快適な生活環境を手に入れるため、様々な工夫をこらしてきた。そのこと は、やがて科学技術の飛躍的発展をもたらし、物質中心の近代文明が人々の生活を覆い尽くすこととなった。その結果、自然の恵みを享受するという姿勢から、 自然を利用し、また改造して、より一層人間の生活を豊かにしたいという、飽くなき欲望を充足させる道をひたすら求め続けることになった。
そのようなとき、世界各地で自然災害が頻発、その甚大な被害の前に人々は為すすべもなく、呆然と立ち尽くす外なかったのが実状であろう。すなわち、科学技 術が生んだ知見によって自然災害を防ぎ得るどころか、かつて日本の物理学者、寺田寅彦(1878-1935)が指摘したように、文明が進むほど自然の猛威 による被害はその激烈さの度を増すという、冷厳なる事実を突きつけられたからである。その結果、ややもすれば自然を収奪し、思うままに利用しようとしてき たことが、いかに傲慢なことであるかに気付かされたといっても過言ではない。
特に昨年3月11日の東日本を襲った大震災と大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所の放射能漏洩事故は、チェルノブイリやスリーマイル島の原 発事故について謙虚に学ぶ姿勢が余りにも乏しく、科学技術のもたらす安全性を過信した結果である。われわれは、技術の進歩の成果を無条件に受け入れるので はなく、その選択に深い倫理性が求められていることを知るべきである。
古代ギリシャ神話が物語るように、人類に火を与えたプロメテウスに、ゼウスは生きながら内蔵を鷲に喰らわせるという罰を与えた、という。それは、すでに文明が人類に幸せをもたらすばかりではなく、厄災を内包するということを示唆しているのではないだろうか。
核燃料から生じる危険な廃棄物の安全な処理方法が、未だ見出せない現実一つをとっても、原発を稼働し続けることは宗教的、倫理的に許されることではない。われわれ宗教者は、このことに強く警鐘を鳴らす責任があったことを、率直に反省するものである。
あらゆる宗教は、欲望の充足が幸福をもたらすのではなく、まず日々の生活の中に平安を祈り、共に生かされて生きることを神仏に感謝することを説く。今や人 類は物質文明に押しつぶされそうになっている現実に目を開き、誤りのない道を選ぶ岐路に立たされていることを知るべきであろう。
一方、自然災害が発生するたびに、自らの生命をも顧みず救援活動に従事する人々の崇高さ、黙々とボランティア活動を続ける人々の気高さ、また直接被災地に 駆けつけることは叶わぬまでも、物心両面にわたって支援し続ける人々の心の温かさに、人類の未来を見る。われわれ宗教者も、災害発生と同時に、各地で被災 者支援に労力を傾注してきたが、甚大な被害を前にして、まだまだ至らぬことを痛感せざるを得ない。
宗教者の重大な使命は、大自然の猛威によって亡くなった方々を弔うことにあると同時に、最愛の家族・友人を一瞬のうちに奪われた人々が、一日も早く平安を 取り戻し、安寧に暮らすことができるように祈念し、共に歩み続けることである。ここに集うわれわれは、諸宗教の連携を深めながら、この使命を全うすること を誓うものである。
2012年8月4日
世界宗教者平和の祈りの集い参加者一同
(付)
 脱原発を求める宗教界のメッセージは、多数出ています。この「比叡山メッセージ2012」は世界中の宗教指導者の集いでまとめられたもので、諸宗教宗派 間の調整を経たものです。超宗派の個人個別組織の共同による「宗教者は原子力発電所の廃止を求めます」という声明(2012年7月13 日)http://togetter.com/li/343855 は主に個人の意志によるもので、超宗派であっても内容は明確です。
 単一宗教によるものでは全日本仏教会の「原子力発電によらない生き方を求めて」http://www.jbf.ne.jp/2011/12 /post_214.html はきわめて広い多様性をもった日本の仏教界をまとめて提出されたもので、内容も明快で社会的なインパクトは大きいものでし た。
 個別宗派のものは宗派の考え方に即して考えをよく練ってあるものが多いです。仏教界では、臨済宗妙心寺派「原子力発電に依存しない社会の実現」 (2011年9月29日) http://www.myoshinji.or.jp/about/post_9.html  が早い時期のものです。真宗大谷派の「すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力発電に依存しない社会の実現を求める決議」(2012年2月27 日) http://www.higashihonganji.or.jp/info/news/detail.php?id=380 は、これまで長期 的にこの問題に取り組んできた集団らしい踏み込んだ内容のものです。立正佼成会の「真に豊かな社会をめざして――原発を超えて」(2012年6月18日) http://www.kosei-kai.or.jp/infomation/070/post_44.html も長く国際的な平和運動に取り組んできた集団の経験を踏まえたものです。
 キリスト教では日本カトリック司教団の「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」(2011年11月8日) http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/111108.htm は世界のカトリック教会の考え方の取り組み を踏まえており、声明としても早い時期に出されました。日本聖公会の「原発のない世界を求めて-原子力発電に対する日本聖公会の立場―」(2012年5月 23日) http://www.nskk.org/province/others/genpatsu2012.pdf や日本同盟基督教団の「みこころの天になるごとく地にも―原子力発電にかんする理事会見解―(2012年7月9日)」は  http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120718/p1 
2012-07-18 「教え」に基づくものであることを明確に示したものです。
 神道系らしい考え方が示されているのは、子どもの脳死による臓器移植や死刑制度にも疑問を呈してきた大本の「大飯原子力発電所再稼働に反対する教団声明」(2012年8月14日 6月14日)
http://www.oomoto.or.jp/Japanese/katsudo/seimei/seimei_genpatsu.html があります。
 創価学会については、2012年1月26日の池田大作名誉会長第37回「SGIの日」記念提言 「生命尊厳の絆輝く世紀を」でおおよその方向性は提示されているようです。
 なお、脱原発を求める宗教団体が多数派ですが、原発推進を主張する宗教団体もないわけではありません。諸宗教の動向については、以下のまとめが参考になります。http://www.circam.jp/reports/02/detail/id=2012 

8/20/2012

通過儀礼

フランスの民俗学者のファン・ヘネップの『通過儀礼』が岩波の文庫として発売になった??のかはわかりませんが、文庫ということで安価で手に入るようになりました。
この本は民俗学、人類学、宗教学などなど人文系学問に大きな影響を与えた文献と言えると思います。儀礼を初めて体系的に論じ、誕生から死までの折々の儀礼、入会の儀礼などを、分離・過渡・統合の過程をたどる通過儀礼の視点で捉えた。特に過渡期という境界状況の考察は、コミュニタス理論など後の人類学の理論的展開の基盤となった。

最近では、評論家の島田裕巳先生がAKBの誰かの記事を書いたことが話題になったときにおそらく議論の中心の概念となったテキストだと思います。

私は早速購入しました…

8/10/2012

儀礼の過程

有名すぎる本ですけど、最近人に勧められたので、紹介しておきます。
まだ読んではいないんですけど、儀礼論をやるうえでは教科書のような感じでしょうか。

ターナーはE.E.プリチャードの弟子になるのかなぁ~

アフリカ研究者以外でも読んで楽しい民族誌だと思います。