10/15/2011

イスラム教からキリスト教に改宗したイラン人牧師


ブログのタイトルは関係ありませんが、気になった記事を毎日新聞で見つけましたので、書いてみます。

イスラム教からキリスト教に改宗したイラン人牧師に対し、死刑判決が確定する可能性が高まり、欧米の政府・人権団体から批判が高まっている。イスラム共同体の安定を重視するイランと、個人の自由を優先させる欧米との価値観の違いが対立を生んでいるようだ。

牧師はイラン北部ラシュトで約400人の信徒を持つ男性のユセフ・ナダルハニ被告(32)。イラン学生通信などによると、被告は、キリスト教に改 宗したとして09年10月に、イスラム教侮辱の疑いで逮捕された。弁護士は「牧師は19歳でキリスト教徒になった。それ以前に特定の宗教を信じているとの 認識がなかった」とし、改宗に当たらないと主張。しかし、09年11月にラシュトの地裁はナダルハニ被告に死刑を言い渡し、10年9月に高裁もこの判決を 支持した。

一方、最高裁は今年6月、高裁に審理の差し戻しを命令。高裁は9月末、イスラム教徒に戻るよう再三求めたがナダルハニ被告が拒否した。高裁は今月9日、判決を前に最高指導者ハメネイ師に死刑是非の判断を委ねた。

イスラム教シーア派を国教とするイランでは、キリスト教やユダヤ教の信仰を認めている。しかし、イランに限らずイスラム社会は改宗を許しておら ず、原則的に死刑が相当と考えられている。人権問題に詳しいテヘラン在住のキーア・メマルザデ弁護士(36)によると、これまで改宗を理由にした逮捕者は 複数いるが、死刑が確定した例はないという。

米英政府や欧州連合のほか各地の人権・キリスト教団体は、イラン政府に牧師の釈放を要求している。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」 のジョー・ストーク中東局長代理は「イランは21世紀に入っても個人に『信仰か死か』の選択を迫る数少ない国のひとつ。死刑は論外」としている。

http://mainichi.jp/select/world/mideast/news/20111015k0000m030129000c.html



改宗牧師、死刑の可能性 欧米で批判高まる 小杉泰・京都大大学院教授



中東では、何を信仰するのかは、個人ではなく共同体によって決まる。生まれた時に属する宗教共同体の信徒となるので、通常はイスラム教の社会に生まれたらイスラム教徒、キリスト教ならキリスト教徒になる。
 西洋や日本のように個人主義が発達した社会では理解しにくいが、中東ではそれが常識だ。宗教間では互いの宗教を尊び、信徒を奪い合うことは好まれない。
 イスラム法では棄教(改宗)は死刑とされる。ただ実際に死刑にすることは少なく、棄教の考えを捨てるまで禁錮刑という場合もある。
 だがイランは法学者がイスラム法に基づいて統治する宗教国家であり、改宗を許せば、国家や社会の安定を揺るがす。それに加えて、欧米による経済制裁などもあって、キリスト教への改宗を外部からの攻撃と感じているのではないか。
 今回の事件でも、西洋的な価値観で批判されることはイランも分かっている。判決が確定すれば、国内への影響も見極めた上で、政治的な判断をする可能性はある。

http://mainichi.jp/select/world/mideast/archive/news/2011/10/15/20111015ddm007030146000c.html

イスラムに関してはあまり知識が無いのでなんとも言えないんですけど、確かに信仰の自由って西洋思想(キリスト教)がベースになってることは否めないと思います。
日本でもGHQの影響下での憲法制定でしょうし。解釈はいろいろとあるかもしれませんが、ベースになってるのは西洋思想でしょう。

どうなるのか個人的に関心があったので、ここに書きました。


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