10/25/2011

文化人類学・学術振興の山口昌男氏(80)に文化功労者

今日のニュースで政府が文化勲章受章者と文化功労者を決定した。という記事をみました。

 そこには文化人類学・学術振興の山口昌男氏(80)の名前がありました。 

私の中ではアフリカ研究者というイメージがあったんですけど、それいがいの著作も数多くのこされている先生です。

私はもちろん面識はないのですが…

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%98%8C%E7%94%B7

 wikiのリンクを張っておきます。

下の二冊は個人的に好きな先生の本を掲載しておきます。


10/24/2011

クロード・レヴィ=ストロースと小田亮先生


今なんでいまさら?と言われそうですけど、クロード・レヴィ=ストロースを読み返しています。この先生のことは今更書くことは無いんですけど、その中で、いろいろと調べていくと小田先生はレヴィ=ストロースの研究でもかなり有名な人なんだということを知りました。
レヴィ=ストロースだと吉田禎吾先生あたりの名前が出てくるように思うんですけど、まだまだ勉強不足でした。
下記の記事は小田先生が自身のブログに掲載している文章を転写しました。






 http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20091104#1257337628からの引用
10月30日に100歳で亡くなった人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、20世紀最大の知的革命であった「構造主義」を主導したことで知られている。
レヴィ=ストロースがその著書『野生の思考』(1958年刊)のなかで行った、当時の知的英雄のサルトルへの批判で一気に注目されるようになった構造主義は、それ以前の知的潮流である現象学や実存主義と違って、哲学者だけによるものではなく、広範な学問分野を巻き込んだものだった。それは、サルトルの実存主義を含めて、西洋の思想が囚われていた「歴史主義」に対して、「野生の思考」から根本的な批判をしたものだった。
彼の構造主義が疑問を投げかけたのは、いまも私たちのなかにのこっている「歴史は進歩する」という信念と「個人の能動的な主体性」という価値観に対してだった。
そのため、構造主義は、歴史や人間の創意を軽視したものだとか、人間を構造の檻に閉じ込めるものだとか言われた。しかし、それは、構造とい う概念への誤解と、西洋近代が創りあげた価値観にとらわれているための誤解によるものといえよう。レヴィ=ストロースによれば、歴史の進歩という信念は 「歴史によって自らを説明することを選んだ」西洋近代の文明でしか意味をもたない信念だ。構造主義が歴史を軽視したという批判は、それが歴史主義によって 自らのアイデンティティを創りあげた西洋近代への根本的な批判だったことを理解しきれなかったことからきているといっていい。
また、「構造の檻」などというとき、なにか建築の 構造や社会構造のように固定された客観的実体ととらえてしまっているように思う。けれども、構造主義の構造はそういったものではない。なぜレヴィ=スト ロースが誤解されやすい「構造」という語を用いたのかということを説明するためには、彼がその「構造」というアイディアを得た1940年代初頭のニューヨークに話をもっていかなくてはならない。
レヴィ=ストロースの構造主義は、1950年代のパリではなく、1940年代のニューヨークで生まれた。1941年にアメリカに亡命したレヴィ=ストロースは、翌年にローマン・ヤーコブソンと出会い、構造言語学の音韻論を学んだ。そこから、レヴィ=ストロースは「無意識のうちに働く二項対立群」というアイディアを引き出す。また、彼が「変換(変形)」の概念を学んだという生物学者ダーシー・トムソンの『成長と形態 第二版』は1942年に出版されており、これもニューヨークで読んだ可能性が高い。そして、学位論文である『親族の基本構造』を書きあげたのもニューヨークであったが、そのなかの分析のために、同じく亡命中だった数学者のアンドレ・ヴェーユ(シモーヌ・ヴェーユの兄)を訪ねて、数学的構造主義の教えを請うたのもニューヨークにおいてだった。ニューヨークという街でのいくつもの出会いが「構造」というアイディアを形作ったのだ。
その「構造」という概念を理解するうえで重要なのが「変換」というアイディアである。レヴィ=ストロースのいう「構造」は、同じく要素と要 素間の関係からなる体系(システム)とも違っている。体系は変換が可能ではなく、体系に手が加わるとばらばらになってしまうけれども、構造は、要素や要素 間の関係が変換して別の体系に変化していっても、なお変わらない何かを指している。変換によって現われた新たな体系ともとの体系のあいだの関係が構造だと いってもいい。つまり、構造は、変換を通じてはじめて現れる。別の変換をすればまた別の構造が出現するのである。それには始まりも終わりもない。
このような構造という概念をみれば、構造主義が人間を構造の檻に閉じ込めたという言説が意味をなさないものだということがわかる。むしろ、レヴィ=ストロースは、変化しながら多様性を生成する構造の「連なりの場」へと人間を解き放ってくれたといったと言ったほうがいい。
そして、この構造という見方からすれば、人間の創造力は「連なりの場」にあるものとしてとらえられる。「連なり」から切り離された個人の能 動性に重きをおく西洋近代の価値観とは違って、それは、他人から与えられたものに、その他人の意図とは別の新たな様相を与えていくような創造性である。レ ヴィ=ストロースは、そのような人間の創造性を分析する手立てを、現在翻訳が刊行中の『神話論理』全4巻として遺してくれた。
私たちはいまだに近代というただひとつの文明のみに適合している。そのことは、構造主義からポスト構造主義へという知的潮流(それは西洋哲学へ の回帰でもあった)が人びとからあたかも「歴史の進歩」のようにとらえられていることからにも示されている(実際には、ポスト構造主義も「歴史主義」の終 焉を共有していたのだが)。そこでは、人と人とが具体的に関係しあい包括的に理解しあう「連なりの場」(レヴィ=ストロースはそれを「真正な社会」と呼ん だ)から私たちは切り離され、そのために多様な創造性をもっていた「野生の思考」は均質的な「栽培された思考」となってしまっている(もっとも、レヴィ= ストロースは1968年のあるインタヴューで、いつのも悲観主義を引っ込めて、インターネットを予言していたかのように、「マスコミュニケーションの 新しい諸手段が、いわば『野生の』状態で生まれてきている」ことに期待し、その「新しい諸手段」が文化を均一化しようとする傾向をもつことは確かだが、そ れが「一方向にのみ働きかけるのではない」こと、そして今日の若者が自分自身の文化を、両親の世代の文化とはまったく異質のものとして作り上げることを可 能にするのもマスコミュニケーションの諸手段なのだと述べていた)。そのような現在、「ただひとつの文明に適合」することが、人類の多様な創造性を見えな くしてしまうのだということを示してくれたレヴィ=ストロースの人類学の真価は、ようやくこれから認められていくに違いない。




10/15/2011

イスラム教からキリスト教に改宗したイラン人牧師


ブログのタイトルは関係ありませんが、気になった記事を毎日新聞で見つけましたので、書いてみます。

イスラム教からキリスト教に改宗したイラン人牧師に対し、死刑判決が確定する可能性が高まり、欧米の政府・人権団体から批判が高まっている。イスラム共同体の安定を重視するイランと、個人の自由を優先させる欧米との価値観の違いが対立を生んでいるようだ。

牧師はイラン北部ラシュトで約400人の信徒を持つ男性のユセフ・ナダルハニ被告(32)。イラン学生通信などによると、被告は、キリスト教に改 宗したとして09年10月に、イスラム教侮辱の疑いで逮捕された。弁護士は「牧師は19歳でキリスト教徒になった。それ以前に特定の宗教を信じているとの 認識がなかった」とし、改宗に当たらないと主張。しかし、09年11月にラシュトの地裁はナダルハニ被告に死刑を言い渡し、10年9月に高裁もこの判決を 支持した。

一方、最高裁は今年6月、高裁に審理の差し戻しを命令。高裁は9月末、イスラム教徒に戻るよう再三求めたがナダルハニ被告が拒否した。高裁は今月9日、判決を前に最高指導者ハメネイ師に死刑是非の判断を委ねた。

イスラム教シーア派を国教とするイランでは、キリスト教やユダヤ教の信仰を認めている。しかし、イランに限らずイスラム社会は改宗を許しておら ず、原則的に死刑が相当と考えられている。人権問題に詳しいテヘラン在住のキーア・メマルザデ弁護士(36)によると、これまで改宗を理由にした逮捕者は 複数いるが、死刑が確定した例はないという。

米英政府や欧州連合のほか各地の人権・キリスト教団体は、イラン政府に牧師の釈放を要求している。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」 のジョー・ストーク中東局長代理は「イランは21世紀に入っても個人に『信仰か死か』の選択を迫る数少ない国のひとつ。死刑は論外」としている。

http://mainichi.jp/select/world/mideast/news/20111015k0000m030129000c.html



改宗牧師、死刑の可能性 欧米で批判高まる 小杉泰・京都大大学院教授



中東では、何を信仰するのかは、個人ではなく共同体によって決まる。生まれた時に属する宗教共同体の信徒となるので、通常はイスラム教の社会に生まれたらイスラム教徒、キリスト教ならキリスト教徒になる。
 西洋や日本のように個人主義が発達した社会では理解しにくいが、中東ではそれが常識だ。宗教間では互いの宗教を尊び、信徒を奪い合うことは好まれない。
 イスラム法では棄教(改宗)は死刑とされる。ただ実際に死刑にすることは少なく、棄教の考えを捨てるまで禁錮刑という場合もある。
 だがイランは法学者がイスラム法に基づいて統治する宗教国家であり、改宗を許せば、国家や社会の安定を揺るがす。それに加えて、欧米による経済制裁などもあって、キリスト教への改宗を外部からの攻撃と感じているのではないか。
 今回の事件でも、西洋的な価値観で批判されることはイランも分かっている。判決が確定すれば、国内への影響も見極めた上で、政治的な判断をする可能性はある。

http://mainichi.jp/select/world/mideast/archive/news/2011/10/15/20111015ddm007030146000c.html

イスラムに関してはあまり知識が無いのでなんとも言えないんですけど、確かに信仰の自由って西洋思想(キリスト教)がベースになってることは否めないと思います。
日本でもGHQの影響下での憲法制定でしょうし。解釈はいろいろとあるかもしれませんが、ベースになってるのは西洋思想でしょう。

どうなるのか個人的に関心があったので、ここに書きました。