seesaa

12/18/2009

イスラームを学ぶ人のために

大塚和夫
1993 『イスラームを学ぶ人のために』世界思想社

この本は大塚和夫先生が編者だったのでとりあげました。
大塚先生はイスラム研究の社会人類学者だったように思います。
書評に「7世紀以来の歴史を背景に、時代や地域によって多様なムスリムの生活を見つめつつ、現代に生きる宗教=文明としてのイスラームを平明に解きあかす。」とありました。
著者のメンバーは日本のイスラム研究の有名な先生方ばかりです。

これからイスラームを勉強する訳ではないのですが、基本的なところを再確認するという意味でも読む価値は充分あるかと思います。

12/15/2009

きりしたん史再考ー信仰受容の宗教学―

 東馬場郁夫
 2006 『きりしたん史再考ー信仰受容の宗教学―』天理大学付属おやさと研究所

 著者は現在天理大学宗教学科教授
 アメリカのバークレー神学校連合大学院で宗教学PH.Dをとっている人です。

 日本語で論文をあまり書いてないらしく、どのような先生なのか分かりません。

 ただこの本は日本でのキリスト教布教から信仰がいかに受け入れられて来たのかを「きりしたん」というキーワードをもとに丁寧に議論されている文献だと思います。

 ここで書くほど読んでないというのが現状なんですけど、内容と自分の関心が近かったから紹介だけしておきます。という程度…

12/05/2009

日本人と日本文化

司馬遼太郎・ドナルドキーン
1972『日本人と日本文化』中公新書

この本は司馬遼太郎とドナルド・キーンという世界的に有名な日本研究者による対談の本です。
お互いが日本人、日本文化について話をしていくというもので、普通の文献とは違い、文章も口語体で書かれていたりして、おもしろい文献です。

対談をしている二人のデータの量も半端ないし、いろいろな視点から見ていることが読み取れておもしろいと思います。どちらかというとビギナー向けという感じですけど。

11/30/2009

上座部仏教の政治社会学

石井米雄 1975『上座部仏教の政治社会学』創文社

東南アジア研究の第一人者の石井米雄先生です。
この先生はもともと歴史学をしていた人です。法律からタイの仏教、歴史、王権などなどを解明しようとしている人です。

この文献は仏教に関する法律からタイの福田思想や外来宗教との接触などを描き出している文献です。

ただただ読み込む文献の量がはんぱじゃないことと語学がかなり達者なことがよくわかります。

11/28/2009

『呪術・科学・宗教』

スタンレー J.タンバイア 1996(1990)多和田 裕司 訳『呪術・科学・宗教』 思文閣出版

文化人類学の思想的遺産を受け継ぎながら宗教とはなにかを考察した本です。しかしそれを考えるための材料となるのは他者の文化ではなく、他者の文化を理解しようとしてきた文化人類学者自身の営みです。

11/23/2009

異文化理解

青木保 2001 『異文化理解』 岩波新書

IT化、グローバリゼーションが進み、日常的な接触、交流が増大した「異文化」を理解しているのだろうか。異文化の衝突はいまなお激しく、ステレオタイプの危険性や文化の画一化がもたらす影響も無視できない。
文化人類学者としての体験や知見を平易に展開しながら、混成化する文化を見据え、真の相互理解の手がかりを探る…

タイ・バンコクで出家経験のある著者の経験や人類学者としての視点から、異文化とはどのようなものかを書いた著作です。

11/04/2009

柳田國男先生です。言わずとしれた民俗学者です。生家のある

日本各地に残る、言い伝えや生活習慣、言語、信仰などの分析・研究を通して、
日本の歴史、成り立ちを探っていこうとする学問を民俗学といいます。

歴史学が文献を通して、国の歴史を研究することに重点が置かれているのに対し、
各地での聞き取りやフィールドワークといった手法により、
庶民の歴史を明らかにしようとするのが民俗学の特徴であります。
歴史学に近接した学問領域であるといえると思います。

こうした民俗学を創始し、学問として確立させたのが、柳田国男でありました。
今回は、こうした柳田国男の生涯と、彼が生み出した民俗学についてまとめてみます。


柳田国男は、明治8年(1875年)兵庫県神東郡田原村辻川(現・神崎郡福崎町)の生まれ。
父は、儒学者で医者でもあった松岡操という人でした。
彼の家は、決して裕福でなく、住む家も日本各地を転々とするなど、
苦しい生活の中、様々な苦労をして育ちました。
しかし、国男はそうした中でも、懸命に学問に打ち込み、
やがて、地域でも一番の秀才として知られていくようになっていきます。

明治30年(1897年)
東京帝国大学法科大学(現在の東大法学部)に入学。

上京してからは、森鴎外と出会い、又、島崎藤村、田山花袋ら、自然主義派の文学青年と交流。
文学に興味を示し始め、この頃は、文筆活動を積極的に行いました。
雑誌「文学界」にも新体詩を発表。
斬新な詩作により、島崎や田山などの文学仲間にも刺激を与えていたといいます。

しかし、彼は、文学の道を目指すことはありませんでした。
明治33年(1900年)
東京帝国大学法科大学を卒業後、農商務省農務局に勤務。
官僚の道を進み始めます。

その翌年には、大審院判事を勤める柳田直平という人のもとへ、
養子として入籍、この時から柳田国男と名乗ります。

何か、この頃の国男は家庭的な問題でうまくいっていなかったようで、
文学への道を断念したのも、養子にいった事も彼の本意ではなかったようです。
どこか、鬱々とした気分で過ごす毎日だったのかも知れません。

しかし、そうした国男の人生の転機となったのが、
明治41年(1908年)の九州旅行でした。
宮崎県椎葉村で、狩りのしきたりについての話を聞き、
非常に鮮烈な刺激を受けたことが、
彼を民俗学の道へと向かわせるきっかけとなりました。

明治45年(1912年)には東北地方を旅行。

岩手県遠野の人で、文学者でもあった佐々木喜善から
遠野に伝わる様々な言い伝えを聞き取り、
それを「遠野物語」と題して発表しました。

「遠野物語」は、小編の物語119話から構成され、
河童・天狗・雪女などの妖怪や、神隠し・死者にまつわる怪談、
オシラサマ・ザシキワラシ等、地元で信じられている神様の話など
さまざまな、伝承がまとめられたものです。

そこには、仏教や儒教などの影響を受けることもない、
日本独自の素朴な庶民の姿が、生き生きと描かれていました。
「遠野物語」は、その高い文学性ともあいまって、
社会的にも反響を呼び起こしました。

「遠野物語」は、まさに、柳田民俗学の出発点となっていったのでありました。
国男は、その後、官職の傍ら、さらに民俗学の研究を続けていきます。

「蝸牛考」
カタツムリの呼び方が、地域により異なることに着目し、
その比較検討から、言語は近畿から地方へと伝播していったと推論。
このことから、文化は中心から周辺へと伝わっていったため、
周辺にかえって古い文化が残っているという説を唱えました。

「桃太郎の誕生」
昔話とは、もともと神話として伝えられていたものが変形したものであるとし、
各地に残る昔話を解析し、日本の固有信仰の姿を見い出そうとしました。

1920年(大正9年)には、官職から退き、東京朝日新聞社に勤務します。
国男は、この頃から沖縄に着目。
沖縄独自の文化に惹かれ、また、沖縄に日本文化の原型を見い出そうとしていきます。

「海上の道」
日本人の始祖は、宝貝(子安貝)を求め、
南海の島々を経ながら、海上の道を経て沖縄にやってきた。
その時に、中国南方で水田耕作されていた稲種を持ってきたのではないか。
日本文化は、沖縄から南島伝いに伝播してきたものであるとする仮説を展開しました。

1949年(昭和24年)には、日本民俗学会を発足させ、初代会長に就任。
1959年(昭和26年)文化勲章を受章。
1969年(昭和37年)8月8日 心臓衰弱のため死去、87才でした。

現在の民俗学研究は、多様化してきているようで、
必ずしも、柳田国男の研究成果の全てが、認められている訳ではありません。
柳田国男に対する批判も、少なからずあるようです。
しかし、柳田国男が日本民俗学の生みの親であり、
今日の日本民俗学の基礎を築き上げてきたことには、間違いありません。

柳田国男が、最初、民俗学に取り組むにあたって抱いていた問題意識は、
「なぜに農民は貧なりや」
というものでありました。

彼は民俗学の研究によって、現在における社会問題をいかに解決するかを、
歴史的に考えようとしたのでありました。
それが、やがて日本文化の成り立ちの探求へと広がっていきました。

柳田は民俗学について、
「目的においては、歴史家と同じ、ただ、方法だけが少し新しいのである。」
と話していたといいます。

柳田国男の民俗学は、異なる角度から歴史を見つめ直す方向性を示し、
歴史研究に広がりを持たせたものであったと言えるでしょう。

11/03/2009

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

ウェーバー1904(1988)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳 岩波書店)
かなりの古典です。もともと社会学の超有名人のウェーバーですが、宗教学よりのことも書いているので、紹介します。
 この本の中で「俗なるもの=資本主義システム」の解明をするため、「聖なるもの=プロテスタンティズム」の倫理が引き合いにだされ、この両者を媒介するものとして個人が位置づけられています。
 「方法論的個人主義」と呼ばれる立場に依拠しつつ、事象を個人にも社会にも還元せず、ひとつの流れとして読みとっていく手法は当時では画期的な方法のようにも感じます。
 これはこの本の中の一部ですが、読み手の軸の推移によって角度を変えてくるこの本はおすすめです。
 
 最近ではNeo-Liberalism新自由主義なんて言葉が良く出てきますが、これらの言葉の基盤がこの著書にあるのかもしれません。

10/29/2009

神々の明治維新

安丸良夫 1971 『神々の明治維新』岩波新書

本の題名だけで興味津々です。
実はまだ読んでないんですけど、書評やネットで読む限りちょっとおもしろそう。

「神仏分離と廃仏毀釈を通じて、日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換が生まれた、と主張するものである。・・・この転換は、国際社会の力と力の闘技場へ加わろうとしたときの、一つのまだ弱小な民族の自己規定と自己統御にかかわっていた。この力の闘技場へ加わるためには、私たちの民族は、みずからの内的な弱さと不安に対応して、その弱さと不安をいっきょに代償する精神の内燃装置を必要としていた。・・・だが、そのためには、どんなに大きな飛躍と抑圧とが必要だったことだろう。伝統は、この課題にあわせて分割され、再編成された。」

など書かれていました。

う~ん…難しそう…

10/26/2009

文化人類学15の理論

 綾部恒雄『文化人類学15の理論』中公新書
 文化人類学の基本文献や理論を紹介している本は山ほどあります。
 例えば米山俊直『現代人類学を学ぶ人のために』、綾部恒雄『文化人類学15の理論』、中山敏『交換の民族誌』などなど。その中で私が一押しなのがこの本です。

 とりあえず難しい専門書や論文より「人類学っていいかも」と思わせてくれる本のような気もしますし、自分でヒットする本を探し出すための一つの指針として紹介します。

 文化人類学の本を読むと「他者理解」というワードを読むみます。
 他者理解を誠実に行おうとする自己の形成を試みることが大事みたいです。
 このワードに取り組むために、文化人類学はフィールドワークの中で他者と出会い、その出会いを民族誌などの形で表現します。
 いろいろと表現方法はありますが、まずこういった本を読むことでおざなりにしていた部分も見えてくるかと…
 人によって古い本だから…とも言われますが、お勧めです。

10/23/2009

共生の作法―会話としての正義

井上達夫1986『共生の作法―会話としての正義』 創文社
何となく、本のタイトルで読んでみました。
近年国内でも頻繁に見られる、異文化対立のような問題をどのように対応していくのか。
その理念と技法のモデルを探る文献です。
一言で言うと、「郷にいれば郷に従え」という感じです。
その時に何を根拠にどうやって介入していくのかを模索している感じがします。

フィールド調査をするときは必ず異文化に接触することになるので、その時にどのように接触するのかを体験的に考えることが出来るようにするために読むと良いかもしれません。

10/19/2009

個人的知識―脱批判哲学をめざして

 マイケル・ポラニー 1958(1985)
 『個人的知識―脱批判哲学をめざして』長尾史郎訳 ハーベスト社
 ハンガリーから逃れてアメリカに渡ったポラニーは、化学でノーベル賞候補者にまでなったらしい。
 後年はあっさり社会学者になったが、その影響力は、化学はもちろん現在の科学哲学(T.クーン等)、認知科学(J.ギブソン等)、社会科学(F.ハイエク等)にまで及んでいる。
 この著書は主観的な知と客観的な知という対立を、生命進化の原理に基づき、近代人が何かを知ることの使命にまで及んでいる。
 その「人格的知」(訳語では「個人的知識」)という概念の中心にあるイメージの1つが、実はconviviality(懇親性)というイメージが浮かぶ。
 とりあえずこの人は多くの人に影響を与えていることを今更いうまでもないでしょう。

10/17/2009

レヴィ=ストロース 「悲しき熱帯」

レヴィ=ストロース、C.1955=1980「悲しき熱帯」川田順造訳 中公バックス世界の名著71巻 中央公論社

 フィールドワークの臨場感たっぷりの記述。
 予想もつかない諸体系が相関しているという意外な指摘
 遥かなる視線から眺められた文化そのものを超越するような思索

 などなどです。

 現在から見れば批判の多い文献ではありますが、マリノフスキーとレヴィ=ストロースといえば文化人類学の二大巨頭ですし、この二人の思考、知識、研究態度などなどを見ると何も言えなくなります。

 翻訳をしている川田順造も日本の文化人類学では大御所です。

10/13/2009

民俗学のおすすめ文献

 本頁で捉える民俗学とは、「人々の生きる姿の中から実践的に立ち上がってきた学問」だと思う。
 社会科学の研究領域に散在する「欠片」すくい取り、日本人の本質・原点を追い求めてきた実践の積み重ねは、数多くの蓄積を残し、概念を創出してきた。
 「民俗」への方法論の模索、実践に立ち現れる権威の創出、地域・周辺世界への眼差しが強化するナショナリズムという矛盾…は、民俗学が大きなパラダイムの転換期に差し掛かっていることを示している。
 民俗学という実践に立ち入るために、我々は「民俗」をどこに求めればいいのだろうか、「世界」に対してどのように接していけばいいのだろうか、そして我々はそこから何を学べるのだろうか。
 最近では数多くの民俗学者の仕事があるが、選びきれる訳ではない。そのため初心者向けを記載する。
 それと合わせて柳田國男先生は必ず押さえなければならない。

1・柳田國男 1997『柳田国男全集 第21巻』筑摩書房(海上の道1961) 
2・宮本常一 1971『忘れられた日本人』未來社
3・宮田登 1993『江戸のはやり神』ちくま学芸文庫
4・福田アジオ 1997『番と衆:日本社会の東と西』吉川弘文館
5・梅屋潔、浦野茂、中西裕二 2001『憑依と呪いのエスノグラフィー』岩田書院
6・大月隆寛 1992『民俗学という不幸』青弓社
7・岩竹美加子 1996『民俗学の政治性:アメリカ民俗学一〇〇年目の省察から』未来社
8・菊地暁 2001『柳田国男と民俗学の近代:奥能登のアエノコトの二十世紀』吉川弘文館
9・小松和彦、関一敏編 2002『新しい民俗学へ:野の学問のためのレッスン26』せりか書房
10・上野和夫[ほか]編 1987『民俗調査ハンドブック』吉川弘文館

10/10/2009

地方学(じかたがく)Ruriology(ルリオロジー)

 地方学は新渡戸稲造が発案した学問です。ずっと柳田國男だと思っていたんですけど、新渡戸稲造でした。
 ruris(田舎)とlogos(学問)の造語です。
 農業本論の地方研究、柳田国男と郷土会(メンバーは当時の研究者で、発表も旅行記などが多数。ただ現在の民俗学会の基礎となったとかならないとか…:地方・民家・村落形態・地割・俚歌童謡の調査研究)
 「一村一郷の事を細密に学術的に研究して行かば国家社会の事は自然と分かる道理である。」明治40年の第二回報徳例会の講演で「地方の研究」について述べています。
 現在では、農業に限らずローカルな視点での足下研究のような意味合いも感じます。
 
 自然環境の中での人間の立場は、人間は自然にどう働きかけているのか西欧郷土論を日本に紹介したのは、「地理学」の学者たちで、当時の人々に啓蒙的な役割をはたしていた内村鑑三でした。
 内村鑑三は明治27年(1894)に『地人論』を著し、「郷土と政治は、地理学を出発点にして語られなければならない」と述べています。
 これは同じ札幌農学校の新渡戸稲造、柳田国男らに影響をあたえました。
 このようなこともあり新渡戸稲造や柳田國男などは地方学の必要性を説いています。
 
 案外自分自身の実家の周辺のことなどは知らないことが多いので、このような地方学(ローカル)。海外など(グローバル)な視点の対比というのが重要なんだろうな。と最近思ってます… 

西太平洋の遠洋航海者

マリノフスキー、B.1922=1980「西太平洋の遠洋航海者」
寺田和夫・増田義郎訳 中公バックス世界の名著71巻 中央公論社


 言わずと知れた文化人類学の教科書と言える本。
 本書で感動できるのは、観察というより洗練された綿密な記述、異文化が自文化の何に相当するのかを考えるスタンス、西欧文化がトロブリアント諸島の文化に埋め込まれているように感じること。
 挙げればきりがありませんが、文化人類学においてフィールドワークでの記述の重要性を痛感する文献。

10/09/2009

タイ国イスラーム中央委員会

สำนักงานคณะกรรมการกลางอิสลามแห่งประเทศไทย
Central Islamic Committee of Thailand, CICOT(ไซคอต)と読むみたいです。
http://www.cicot.or.th/2009/
が公式サイト
タイ国内のイスラム教統制機関。
1998年イスラム諸国会議機構のオブザーバー・ステータスを所有しています。
1997年に成立した「仏暦2540年イスラーム教組織運営法」に基づく内務省の下位組織としてスタートしました。จุฬาราชมนรี =タイ国内イスラム最高責任者を頂点とします。
委員会のメンバーになるにはสัญชาติもเชื้อชาติもタイ人じゃないと駄目みたいです。
いつのまにかこんな組織が出来ていたとは知りませんでした。

10/07/2009

タイのイスラム

タイのイスラムはスンニ派がほとんどです。
タイに限らず東南アジアはスンニ派が多いんだそうです。
つまりイスラムが広がっていった要因はこのスンニ派の人々の移住が主要部分を占めているそうです。
最近ではキリスト教よりもタイではイスラムの方が多くなりました。
イメージはイスラム原理主義の印象が強いせいか近寄りがたいイメージもありますが、実際は包括的というかかなりおおらかな感じです。
バンコクに限らず主要都市にモスクはあるので、言ってみるのも良いかも知れません。

10/05/2009

とりあえず…

とりあえずいろいろとカスタマイズしてみましたが、思い通りにならないので、全部削除しました。
背景も白…
ヘッダーも画像は無し…
カレンダーを入れたかったけど、いいのが無いので、サイズが異なる物を入れて見ましたが、あんまり何で無くしました。
ブログはやはりサイトで使用が異なるもんだと痛感した次第です…

ブログを始めました。

 とりあえずブログを始めました。
 タイの事ならなんでも書きます。
 ぼちぼち書きます。
 
 สวัสดี เริ่มblogเมื่อซักครู่นี้ เขียนศาสนา วัฒนธรรม คติชน ธรรมเนียมไทย